クラルは一声も出さず、形も無くなろうとする家の奥でその悪魔を見た。炎の中にうっ
すらと、おぞましい炎に包まれた体、凍るような瞳の、まさに悪魔。大きな背から赤黒い
翼を持つ、クラルの瞳にはそれがはっきりと見えた。
「…!?」
「お兄ちゃん、早くこっちに!!  危ないよ!!」
炎が、いや悪魔がこっちに向かって来る。クラルを見たのだ。
「うわァァァ!!!」
「おい、どうした!!  こら、こっち来い!!」
ルーファウスはもうやけくそになってクラルを無理やり引っ張っていった。他の人々の目
には、悪魔は炎にしか見えなかったのだ。しかしアンは…。
「何!?  あれ…?」
見えているようだ。彼女は訳がわからず、その場に立ちすくんだ。

                                     *

  次の日、燃え尽きた家は1件。不思議なことだ。何故燃えたのか、原因は全く不明だ。
クラルの家は外れにあり、他の家の出火で燃えることはまず無い。家自体が燃えたのだ。
しかも、周囲の草や木は全くと言っていい程何ともないという…。

  昨日の夜は、アンの家に3人とも泊まった。クラルは朝になってやっと落ち着いた。
「あんた、ルーファウスっていったっけ…?ルゥ…。」
同じ部屋で寝ていた彼らは、朝起きてやっと口をきいた。外を見て言った。ルーファウス
は借りた服をたたみ、クラルを見た。クラルは寝間きのまま空を見ている。
「昨日は、悪かったね…。」
「謝るな、礼の方が先だ。」
「ああ…そうか…昨日君達に助けてもらって…。」
昨日の悪夢を思い出した。炎の中の悪魔も。
「言っておくが、いつまでも落ち込んでいる奴は何も進歩しない。」
フイと向こうを向き、彼なりの優しさで言った。
「礼はもう少し待ってやる。それまでお前の顔を見といてやる、毎朝1回だけ。」
「…。」
ルーファウスの方を向いた。彼はもう部屋にはいなかった。

「お兄ちゃん、クラルさん大丈夫?」
廊下に出たル−ファウスが、かなりクサイセリフはいてしまったと思いながら溜め息をつ
くと、ラーファが横に立ち、兄の顔を見つめ言った。クラルの影響を受けたのだろうか。
ブル−の瞳が少し陰っている。ルーファウスはラーファの頭を撫で、並んで歩き出した。
「大丈夫だろ、多分…な。まっ、こっから先は俺達が手を出すところじゃない。後は、ア
イツ次第だからな。」
少し遠くを見つめてルーファウスは言った。パンの焼けるいい匂いがどこからか香る。

「あっ、ラァちゃんこっちこっち。」
すぐ前の部屋からアンが顔を出した。ラーファは兄の手をひき、アンの顔を出した部屋に
入った。部屋には食卓があり、その上にはおいしそうに焼けたパン、香ばしい香りが並ん
でいる。ラーファは得意気にルーファウスに言った。
「ラァはね、お手伝いしたのよ。ね、アン。」
ケットルを片手に振り向いたアンは、ニッコリ笑ってうなずいた。
「よく働いてくれたわ。」
ラーファは思い知ったか、と言わんばかりに、背の高い兄の顔を下からのぞきあげた。可
愛い、などと思いながらルーファウスは、頭を優しく撫でてやった。ラーファは嬉しそう
に笑い、兄を席へとエスコートする。2人が席に着いたのを見てアンは、場を仕切った。
「それでは、食べ物と神に感謝して頂きます。」

  各々の食事をとりながら、アンはルーファウスにクラルのことを尋いた。
「まあまあといったところだ。すぐにはムリだと思うが、大丈夫だ。」
アンはそれを聞いて少し安心した。クラルの悲しみは計り知れないが、彼女は少しでも力
になってやりたかった。少し思いにふけっていたアンは、ラーファの声で我に返った。
「クラルさんは食べないのかな?」
「クラルはあんまり朝は食べないのよ。」
アンは、クラルのことを心配してくれるラーファを愛しく思った。自分まで悲しみに包ま
れてはいけない。そういう思いをラーファの中から感じとった。
「(私がしっかりしなくちゃ。クラルを支えてあげなきゃ。昔からそうだもん、クラルは
私がいなくちゃ駄目なのよ。…私もクラルがいなくちゃ駄目だもん。)」
心の中のモヤを払うように、アンは決心した。クラルのために、私も頑張る…と。

  朝食も食べ終わり、後片付けをしているとクラルがやって来た。
「俺、一度家に行ってみるよ。」
6つの瞳が一斉に彼を見つめた。突然見つめられクラルは少し慌てたが、笑顔で返した。
「どうなっちゃったか、見たいんだ。」
少しの沈黙がその場を支配した。その沈黙を破ったのはアンだった。
「行っておいでよ。それで、自分の目で確かめておいでよ。」
口には出さないが、アンの確かな優しさをクラルは感じとった。
「俺も行く。」
たった一言だが、ルーファウスの言葉にも、表せないぐらいの信頼を感じた。
「お兄ちゃんが行くならラァも行くわ。」
無邪気にそう言ったラーファの台詞にもトゲがない。みんなの優しさを胸一杯、いや体一
杯に感じたクラルは嬉しかった。偶然でも身近にこういう人達がいてくれたのがどれだけ
幸せか、わかった様な気がする。焼けてしまった家を見るのは辛い。だが、もう避けるこ
とは出来ない。自分自身を励ますかの様にクラルは言った。
「行こう。俺の家へ。」

                                     *

「…昨日、火事で被害を受けたのは、どうやら俺んとこだけだね。」
ぼんやり周りを見ながら言った。アンは黙っている。
「わァお兄ちゃん、綺麗な花よ!」
ラーファは無邪気に言う。昨日の事は嘘の様だ。村人もいつもの様にふるまっている。
「…さっぱりしたな…。」
ポツリと、ルーファウスが言った。ラーファは兄を見上げ、瞳を見た。アンは、クラルの
手を握ってやった。大丈夫、という風にクラルは手を握り返した。

  黒ずんで、もう自分の家とは思えぬ程になった家の中をクラルは1人で歩いた。
「(ああ、本トに何もなくなったのか…。)」
そう思い、何も無いただ寒気のする家を見て、虚しくなった。
「クラル。」
近くによってきたアンは、下を向き瞳に涙を浮かべている。
「…本トに何も残ってないんだ…。バカみたいだね。本トに…。」
「わけわかんないこと言わないでよ…。」
苦しい笑いに応えるのが辛い。

「お兄ちゃん。」
クイクイとラーファが兄の服の裾を引っ張った。
「あれ何?」
「地下室だな。」
ぽつりと答えた。クラルは何故かその地下室に惹かれたのか、入口へと向かった。
「クラル?」
アンの横をすりぬけ、まるで何かに取り憑かれた様だった。
「こんなの見たことない…。」
アンもそうである。まるで家の中に隠した様だ。クラルは何のためらいもなく開けた。中
は意外にも綺麗にされている様子で、下へ行く道にもクモの巣1つ無かった。
「ご丁寧に、ロウソクまであるわね。」
火をつけると、誰かが出入りしていた様子がわかる。あまり物といった物は無く、小さな
台に大切に置かれる何かがあるだけで、そこだけは灯りが絶えることは無かった様だ。
「指輪だ…。母さんのじゃない。赤い宝石。」
「綺麗…まるで火の色みたい。」
本当に燃える様な色、けれど美しく、誰も昨日の火事を思い出す者はいない。唯、火の色
に吸い込まれる様だ。クラルは指輪を取った。途端、指輪の周りにあった灯りは消えた。
「こんな物が家にあったなんて…。」
そんなことも気にせず、指輪を見ていた。嬉しかったのだ。何も無いと思っていたのに、
こんな形でも何か残ってくれていて。−笑顔が見える。クラルはそっと指にはめてみた。
美しい輝きに吸い込まれる気がした。

「…?」
「クラル、どうかした?」
頭の中がぼやけて、応えることも出来なかった。宝石の美しさ以上に輝きが何かを訴える
様でもあり、目を逸らすことが出来ない。だんだんと本当に吸い込まれていく様になり、
光の中に入っていく様な、体が浮いた様な…変な感じがしたのだけは、憶えていた。

                                     *

「おい小僧、起きろ!!」
−!?と、さっきの頭をバッと醒ました。
「え?」
訳がわからない所にいる。さっきまでいた所じゃない、それだけはわかった。
「あ…あれ?  ここどこ!?  草原!!」
「何寝ぼけてるんだ小僧。見かけん顔だが?」
「え…えっと…ああ?  …うゥ〜ント…。」
「何言うとんじゃ。まァいい。とにかくこんなとこで寝てカゼひくぞ。早く帰らんか。」
「…ここ…どこ?」
「…バカ言うな。ここで迷うはずがないぞ。こんな天にある小さな国で…。」
「…え?  てんぷら?  てんぷらの国?」
「頭打ったのか?  小僧。周り見てみい、思い出すぞ。」
周りを見回す…すると、雲が真横にあった。

「わァァ!!」
本当に空。天の中。宙に浮いている国だ。下を見れば、うっすらと雲に覆われて小さく見
える何か…いや、以前自分がいた‘大地’と言うものがある。
「わかったか小僧、じゃあな。」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!!」
必死で男の足を掴んだ。
「本当にどうなってんだよ!!  俺は何も知らないよ!!」
もう頭はパニックである。あの地下室から上へ来てしまったものだから。
「お前…本当に頭打っちまったのか…。」
その男はひょいと首根っこを掴み、猫の様にクラルを持ち上げた。
「俺ん家来い。少しくらいなら話も聞いて、家も捜してやる。」
「はい…!?」
クラルはもう怯えきっていた。

「ホレ、飲め。落ち着くぞ。」
「…ど…どうも…。」
「…どうした、固まって。」
「…え。いや…あの…別、に…ハハハ…。」
固まるのも当り前と言えば当り前、この大男の家までクラルは担がれて来たのだ。ここは
大男の家。彼は見かけもそうだが、実に子供が恐がるタイプだ。
「お前、名前は覚えてるか?」
「え…。ク…クラル…。」
「そうか、俺はサイルだ。じゃあどこから来た?  ここは『チブリス』と言う地だ。」
男は、淡々と話を進めていく。
「チ…チブリス?  …俺はチャランポから…でもチブリスって何?  聞いたことないよ…」
おどおどと答える。
「チャランポ?  そんな‘地’は無いぞ、小僧。ここは、空に浮かぶ小さな国で、5つの
‘地’に分けられているんだ。俺ァ生まれてこのかた、それ以外の‘地’の名前なんざ、
聞いたことね−ゾ。」
‘地’とは国の様なものらしい。
「そんなぁ!!  空なんて!!  おっさんいい歳して!!  じょ−だんやめてよォ!!!」
「お前からかってんのか!!  周り見ただろうが。ここは空、地上の奴らにゃ見えね−し、
それにお前がもし人界の人間だったらど−やってここへ来たんだ。」
「知らね−よ−!!」
泣きかけで立ち上がり、頭を抱えた。
「あ−っ、わかった!! 落ち着け、こんな小さな所だ。すぐ家は見つけてやる!!」
また首根っこを掴まれ、ピタリと動きが止まってしまった。小柄なクラルは、大男に持ち
上げられると足が地につかない

  その男はサイルという。身長は190cmと大きい。歳はおそらく20代後半だろう。
家には妻がいて、もうすぐ赤子が産まれるらしい。クラルはそのサイルという男に面倒を
見てもらうことにした。夫人も心良く受け入れてくれた。
「クラル君、大変だけど心配しないで。うちの人頼りになるのよ。」
マイラというその夫人は、笑顔がよく似合う優しい、母に似た人だ。
「はい…。(ここじゃ俺ん家、見つかるワケね−けど…  )」
悪いとは思いながらも、母が生き返った様な気分を止めることが出来なかった。
「あの…ここのこと、教えてくれませんか?」
少し恥ずかしい様だ。
「いいわよ。さ、座って。」
かなりお腹が大きいのでベッドに寝ていたマイラは、クラルをベッドの端に座らせた。

「何から話そうかしら。そうね、この国は君も知ってるように空に浮いているわ。昔ね、
5つの石を守るために創られた国なのよ。もうすぐ何千年になるらしいけれど。私達は、
今でも石を大切に守ってる。守るのは1部の人だけど、でもみんな石を大事に思ってる。
この‘地’にあるのは赤い石。火を扱うのね。とても普通の赤い色に思えないの。」
クラルはハッとして自分のしていた指輪をさわろうと…しかし何故か無かった。
「…!?」
マイラは、話を続けた。
「実は、その石代々うちが守りの人間となってるのよ  他の村もそれぞれの色の石を1つ
の家の者が守っているはずよ。勿論例外もあるけれどね。」
「何で…その石がそんなに大切なんですか…?」
石のことがどうしても知りたい。自分の持っている物と同じかもしれない…。
「この石は、私達が守っている、けど石が私達を守っているということでもあるのよ。」
「…何か特別な力でもあるの?」
「この石は人の心に敏感でね、持つ者によって違うけど、今の持ち主、つまり私の夫が持
つ時は死んだ草や花を生き返らせてくれたわよ。でも持つ者の心が汚れていれば、石は全
く反対の力を出すの。だから石を守るのよ。と言ってもその石の指輪をはめられるのは、
限られた者のみなんだけど。けど、いつどこで力が出るか…。」
「…指輪?赤い火の色の…!? (おかしい、俺のしていたのと同じ、それに何で俺はここ
にいるんだよ。まさか…?)ねェ、ここの人って空飛べるんだよね  おまけにサイルは、
物に命が吹き込めて…他にも色々…。」
「あら、何でわかったの? 何か思い出したの?」
「…いいえ…。」
「でもここから早く出た方がいいわよ。最近この辺に石を狙う魔物が出るの。あの人も大
変で…。」
「(やっぱりそうだ、ここは…昔の世界だ。そしてサイルとマイラは、父さんと母さん…
母さんは名前が違うからわからなかったけど、父さんの名前は確かサイル。小さい頃に死
んだって1度だけ母さんが話してくれたんだ。じゃァ、俺は、天空の国に住んでいた者…
ということになる。何故地上にいるんだ!?)」

「クラル君、どうしたの?」
「え…っ」
瞳をのぞきこんできた。自分と同じ茶色のかかった瞳。
「クラル君て、いい名前ねェ。お腹の子が男の子ならクラルってつけようかしら。」
「…。」
「(ちょっ、ちょっと待ってよ、これが母さんならこの腹ん中の子って俺なんじゃ…)」
「ねェ、いいかしら? あなたが自分の‘地’へ帰っても忘れたくないの。」
頬に手をのばし、サラサラのクラルの髪を撫でた。
「…っ」
思わず‘母さん’と言いそうになる。だって‘母さん’なのだから。
「ごめん…。」
思わず出た言葉、下を向いてしまう。
「…聞いてくれるかな。今だけでいい、本トに…似ているんだ…。」
「…いいわよ。」
さっきまでの石だの何だのということは忘れてしまいそうな程、胸が苦しい。
「ごめんナ母さん…助けてあげらんなくって…俺…すっげェ無力で…何も出来ない。」
「クラル…。」
涙が出てきた。目の前で生きている‘母さん’は、自分を知らない‘他人’なのに。
「俺、強くなれなかった、父さんみたいに…なれって言ってたのに。本トは今でも恐くっ
て…1人じゃ生きていけないよ。母さんを助けたかったのだって、1人になるのが恐かっ
たんだ…!! かえってきてよ…アンも…みんないるけど…でも母さんもいないとダメだよ
…俺はまた…父さんがいないって知った時の俺になっちまうよ…。」
マイラの腕で泣いていた、小さな少年。それをサイルは、黙ってドアの向こうから見てい
た。これから起こる事に堪えきれるだろうか、と思った。彼はその力故に、魔物が来るの
を感じていた。

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