その国の真下は地獄≠セった。世界の裏など何処にもあるのに、何故その国だけがそ
う言われるのか、知る者はおそらくこの世にいなかった。…あくまでこの世≠ノは。

  場所は、地図上での世界の中心、海をも越えた所にある島国『ジパング』でのお話。こ
こジパングは他の国との交流を断ち、鎖国をすることによって独特の文化で栄えている。
簡単に言えば平安時代と江戸時代を足したような雰囲気だ。ここでは未だに厳しい身分制
度が残っていて、下級の農民、中級の武士、上級の貴族(公家とも言う)に分けられ、下
級の農民などは厳しい年貢で苦しい生活を強いられていた。

  ここジパングの都、京の街に、花の御所と呼ばれる大きな屋敷がある。そこに住むのは
上級の公家達、そして官女達である。その公家達には代々、“魔術”が伝えられていた。
しかしその存在を知る者は少なく、また使える者も少なかった。花の御所に住む1人の若
者は、その数少ない使い手の1人だったのである。その者の名は、『烏丸頼也』。
                           ※烏丸頼也→からすまよりや
「頼也、頼也!」
頼もしい体つきの男が荒々しく廊下を踏みつけながら、屋敷の中を歩き回っている。彼の
名は『山科幻次』。頼也の兄貴分といったところで、古くからの付き合いである。
「何じゃ、大きな声で。うるさいのう。」        ※山科幻次→やましなげんじ
色白で、年齢のわりに幼い顔の青年がすねたような顔を部屋からのぞかせた。
「何じゃ、じゃねえよ。今日は俺と釣りに行くって言っただろうが。何こんな所で日向た
ぼっこしてんだよ! 行くぞ!」
一気にまくしたてた。しかし頼也は変わらずすねた顔で寝転がっている。もう20歳にもな
る男、しかも幻次と1つ違いなどと絶対見えないような可愛い、子供っぽい抵抗である。
それが幻次にとって唯一の弱みで、その顔をされるとつい許してしまうのだ。
「…しょ−がね−なァ。明日、明日は絶対だぞ!」
そう言うと頼也が嬉しそうに笑う。
「わかりやすい奴じゃのう。」
2人の対照的な男の楽しそうな会話をよそに、空では厚い雲がどんどんと広がり、一面を
覆い尽くしていった。これから始まる何かを予知するかの様に…。


  しばらくしてから、京の街もその周辺もまるで夜の様に暗くなった。その周辺と言えば
北東の方角に草原があったが、その草原のほぼ真ん中にぽつんと一つ家があった。かなり
広い草原で住むのにはどうかと思われるのだが、世の中には物好きもいるものだ。

  それはともかくその家の主の初老の男は、洗濯物を取り込みに外に出た。急変した天気
にぶつぶつ口の中で文句を言いながら、彼は。−自分の家以外に何も無い筈の草原に、何
かを見つけた。その視線の先には…背からコウモリのような羽が7つ生えている少年が倒
れている。少年の珍しい所はそれだけではない。薄い青に銀のかかった髪、そう長くはな
いが尖っている耳。着ている物も、ジパングの中としては妙だが、自分もジパング人では
ないので大して驚かない。一応他の光景に驚きつつ彼は、取り込んだ洗濯物を窓から家の
中に投げ込み、倒れている少年を抱えて家に戻った。その直後に雨が降り出していた。

  …少年が目を覚ました時。深く澄んだ黒の色の目には、木だけで出来た天井が映った。
一時的な記憶の混乱か、何があったのか思い出せなかった少年は、ゆっくりと落ち着きな
がら少しずつ記憶を辿っていった。
「オレ、確か旅してて、海渡ってきて…この大陸について…あっ、そうだ! さっき、ま
ずい奴に会っちゃったんだ…。」
控え目に少年が叫んだ時。その部屋の扉が開いた。
「−お−、目が覚めたか、少年。」
「へっ? …おっちゃん、誰?」
「おっちゃんのことは、おいちゃんと呼んでくれ。少年。」
「−? …わかった、おいちゃん。オレは『アラス』。でも少年でいいや。…あ!」
その時アラスは、自分の羽が出しっ放しなことに気づいた。その羽は確かな魔族の証−…
しかも特徴あるその形は、魔族の中でもかなり高等な種族、吸血鬼の証だ。ところで魔族
というのは、大体が人間の愚かさを糧として生きていて、吸血鬼も当然例外ではない。吸
血鬼は人間と、血を少々貰う代わりに一時的な若さを与えるという‘契約’をするのだ。
「…やっぱ、バレて…るよね?」
「まあ少年よ、気にするな。ここにはおいちゃん以外誰もおらん。」
「そっかぁ…って、違うでしょ。何でおいちゃんはオレを助けたんだよ。オレのこと、恐
くないの? 魔族だよ。人間ならフツーみんな嫌がるよ。」
「少年よ。おいちゃんみたいに長く生きてるとな、色々なモンを見るんだよ。そいつの性
格なんざ、顔見ればちったあわかるモンよ。」
「?…わかんないな。変な人間だね、おいちゃん。」
「まっ、とりあえずこれでも食って寝ろや。その牙もなかなかい−ぜ。」
そう言って食事を置くと自称おいちゃんは、1度伸びをしてから部屋を出た。…吸血鬼は
別に食べ物がなくても生きられるが、食べても何ら変わりは無い。アラスはありがたく頂
いてから、再び眠りに入った。昼間にかなり力を使ったので、まだ疲れていたのだ。彼に
久方ぶりの、ほのぼのとした時間が流れた。

                                       *

  頼也は空を見上げた。厚い雲が今も空を覆っている。ふと淋しさを感じた。何故か世界
には自分しかいない様な、そんな淋しさが胸を痛めるのだった。
「幻次!」
近くでいびきをかいている幻次に飛びついた。
「ふあ…。またかよ。ったく、術者ってのは面倒だな。」
そう言って目を覚ました幻次は、頼也の頭を優しく撫でた。頼也はここの最近、よくこん
な淋しさを感じるのだ。それも決まって術の練習をしている時で、呼吸すると空気と共に
世界中の人々の淋しさまでもが体に入っていく、そんな気がした。その度に幻次は、頼也
の頭を優しく撫でてくれるのだった。
「…のう、幻次。この淋しさは一体、どこから来るんじゃろうのう。」
放っておけば、止まることなく流れてしまいそうな涙を堪えながら言った。
「さあなあ。でもあの厚い黒雲といい、何かが…どこかで起こってるのかもな。そ−ゆ−
のはわかんねえのかよ、その術で。」
「そ−ゆ−のは苦手じゃよ。わかれば苦労はせぬしな。」
苦笑を浮かべた。−その時、部屋の障子がさっと開いた。向こうには女性が立っている。
白い肌に紅い口紅が印象的な、細身の女性だ。昔によく世話になった家の娘である。

「頼也殿…。そなたの術者としての腕を見込んで、お願いする…。私の妹を助けてほしい
のですが…。」
疲れ果てた表情で頼也を見つめた。
「こより殿…魅夜殿がどうかしたのですか?」
「あの娘は…人と話すことが得意ではなく、あまり友人がいない上、感受性が高かったの
でとことんまで自分を追いつめてしまって…。」
「なあ、こよりさんよォ。それじゃ−頼也を呼ぶ必要なんてねェんじゃないのか?別に術
者じゃなくても…。」
幻次が口をはさんだ。
「…あの娘は…名の通り夜に魅いられてしまったのです。」
「夜に?」
頼也の目が鋭くなった。
「とにかく、妹に会って下さい。」

  こよりに連れられ、頼也と幻次は魅夜の部屋に行った。障子を開けると、部屋から異様
な空気が流れ出して来た。
「なっ、何だこりゃ!?」
幻次の声につられ足元を見ると、無数の日本人形が生気のない目でこちらを見ている。そ
の真ん中で、おかっぱ頭の女の子が不気味な笑みをもらしながら、3人を見つめる。異様
だ。…部屋も、魅夜も、空気でさえもがおかしい。
「頼也様に幻次様、お久しゅうございます。魅夜に会いに来て下さったのですか?」
「ああ。元気だったか?大きくなったのう。」
部屋に一歩入ると、涙が流れ出た。あの感覚だ。理由もないのに、淋しくて涙が流れる。
「頼也!?大丈夫か!?」
「大丈夫、いつものアレじゃよ。それより魅夜殿じゃ。」
「頼也様、魅夜と遊んでくれるのね。」
魅夜が不敵な笑みをうかべた。…空の雲はどんどん厚くなり、闇を濃くしていく。

                                       *

  突然だが自称おいちゃんは悩んでいた。彼がこんな不便な所に住んでいるのも、理由が
あるのだ。ちなみにここはジパングの中でも、本当に何も無い所だ。ジパングは狭いが人
口も少ないので、今のところ開拓もあまりされていない。彼の家の周りには畑があり、地
下には巨大な水タンクと干し肉など食料が貯えてあり、めったに街の方にも行かない。

  話を戻して、彼には家族もいた。親もまだ長生きしている。それなのに、たった1人で
こんな所に住んでいるのは−…彼の人柄に原因があった。彼はいわゆるお人好しで、それ
故に色々と面倒な事も何度かあった。…自分以外に迷惑がかからずに済めばそれでいいと
思っていたのだが、何処へいこうと厄介者扱いされることが多くなっていた。結局、1人
で誰にも関わることのないような所に引き上げて来、そして家族はそれを追わなかった。
彼から追い払ったからである。そんなお人好しな彼が悩む理由と言うのは。

  −…不意に、声がした。
「おいちゃん。」
振り向くとアラスが、扉の方に立っていた。羽をしまい、黒いアンダーシャツの上から人
間らしい服を着て、すっかり人間になりきっていた。格好だけでなく、雰囲気までも。
「お−、起き上がれるようになったか。もう行くのか?」
「うん。助けてくれて感謝してる。」
とりあえず彼はアラスを玄関に連れて行き、辺りを見回した。
「真っ暗だなあ…本当に行くのかい。」
「その方がい−から。やっぱ昼間の光は、これ着てないとキツいし。」
そう言ってアラスは、自分のアンダーシャツを指差した。成程、そういう理由付きファッ
ションだったのかと納得してから彼は、妙なことに気付いた。アラスはいつも、口調程に
表情に感情が入っていないのだ。微笑していたからあまり気にはならなかったのだが、こ
うして見ると先程からあまりいきいきとはしていなく、少年らしくない。関係があるのか
もしれない、彼がこの少年について悩んでいたことと。…彼はとりあえず声をかけた。

「なあ、少年。」
「?」
「何て言うか…変だな。少年を見てると、吸血鬼だって知ってるのに、何かこう…人間っ
て感じがするんだよ。」
「そう?…多分今、オレが実際に人間にバケてるからだよ。羽もしまったし。」
違うな、と彼は思った。しかしそれは口に出さずに
「そうかもな。」
とだけ言い、アラスが立ち去って行くのを見送っていた。…しかし彼のお人好し根性は、
つい声をかけてしまっていた。
「お前、首の…まあいいか。何かあったら訪ねてこい!!どうせおいちゃんはず−っとここ
にいるからな−!」
アラスはよくわからないという顔で聞いていたが、そっと右手で自分の首に触れ、それか
ら彼に手を振った。初めて少年らしい笑顔を見せて。
「ありがと、変なおいちゃん!」
彼はアラスを完全に見送ってしまってから、改めて自分の、バカさ(?)に呆れていた。
昨日今日に知り合っただけの相手に、これだけ感情移入してどうするのか。…何はともあ
れ家に入り、ゆっくり眠ることにした。眠ることは何よりの解放だった。

  おいちゃんが眠りについた頃…アラスは京都の近くまで来ていた。夜だと足の運びも速
い。雲に隠され月は見えない…彼は、この雲がどこから来るのかよく知っていた。彼の故
郷魔界は今は動乱の時代で、憎しみと恨みの雲がこちらの世界にまで進出してくる。

 この世界、『宝界』の近くには2つの世界が存在する。それが『天界』と『魔界』だ。 
人間は、魔界と天界(といっても今は双方所在が信じられていないが)の両方を、行き来
することが出来る。但し、3つの世界は次元の違う所に在り、その次元の壁を越えられる
者のみが行き来出来るのだが。勿論普通の人間は行き来することが出来ない…人が持てる
以上の、禁忌と見られる力を持たない限り。3つの世界が干渉し合わない為であり、天界
の者は魔界に入ることが相性的に出来ず、魔界の者も同じ理由で天界には入れなかった。

  アラスは別に、魔界の常、弱肉強食という在り方に負けてこの世界に来た訳ではない。
かといって普通の魔族の様に、天界の存在を疎ましく思っている訳でもない。彼がこの宝
界で旅をしているのは、たった1つの目的の、理由を探すためだった。魔界ではその目的
は成し得ず、かといって天界には入れない。それでこの世界で旅をしているのだ。しかし
この世界に彼がいることは、異世界への干渉である。彼の故郷は魔界であるにも関わらず
この世界に存在すること自体が、立派な違法の一つなのだった。なので、それらを管理す
る者に見つからない様にするのも結構大変なのだ。

 −魔界にいて、彼女の言うことをきいていれば良かったのだろうか…ふとそんなことを
思いもしたが、今更という気がする。そして彼はそのまま歩き続けた。
 何をするのか、何がしたいのか、何をすべきなのか、考えながら。1人でいると、考え
ることも面倒臭いように感じられた。

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