場所は東。ジパング京都の頼也達を襲った綾の主人と思われる常康は、‘あの方’の部 屋の中で少し緊張していた。常康の後ろで扉が開いた。 そこはバスルームだったらしく、華奢な体にバスローブをまとった背が高くスタイルの いい男が出て来た。 「すまんな−、待たせてしも−て。」 「いえ。」 「おお、今日は綾も一緒か。珍し−なァ。元気か?」 男が白い手を綾の頭に置いた。 「はい。『正宗』様もお元気そうで何よりです。」 綾は上品に笑ってみせた。この男こそ常康が自分より大切に思っている嫉妬の対象で、頭 の上の手を払い除けたくもなるのだが、それで常康が悲しむ顔を見たくはなかった。しか し、目の奥での反応は忘れない。それを見て正宗はケラケラと笑った。 「ホンマに元気そ−やな。ジュースでも飲むか?」 「正宗様、今日は『静青の宝珠』の事について、報告に参りました。」 「ああ、見つかったんか?」 3つのグラスとワイン、そしてジュースをテーブルに置きながら正宗が言った。 「はい。この前綾が花の御所に行った時、確信が持てました。『静青の宝珠』を持ってい るのは烏丸頼也という公家か、あるいはそのそばにいた侍のどちらかです。] 「へ−、ご苦労やったな、綾。」 「いいえ、‘常康様’のためですから。」 「で、どうやった?その2人は強いんか?」 「はい。侍の方はまだよくわかりませんけど、公家の方はかなりの術者と思われます。そ れと、その2人にあの賞金首の吸血鬼がくっついています。」 綾がスラスラと報告するのを聞きながら正宗は2つのグラスにジュースを、もう1つには ワインを注いでいる。 「あの吸血鬼って確か、水瑠璃のエモノやなかったか? 黒の…。」 「はい。それでもう手を出すなみたいなコト言われましたわ。聞く耳持ちませんけど。あ んな女の言葉なんて。」 「ははっ、‘あんな女’か。言いよるな−。なんやまた常康のコト言われたんか? 綾は ホンマに常康のこと好きなんやねんな−。」 「なっ!! 正宗様にはカンケーありませんわっ!!」 綾が耳まで真っ赤にしながら叫んだ。 「かわい−なあ。え−なぁ、常康はこんなに想われとって。」 「はい。常康は幸せ者です。」 常康が綾を抱きしめた。綾は相変わらず真っ赤である。 「しかしな−、宝珠の件、他の四天王はよ−動いとるよな−。」 ワインをあおってから言った。 「オレもそろそろ動かなアカンな−。でもアイツら弱かったらおもんないし。」 この男の動く動かないはいつもおもしろいかおもしろくないかに左右されている様だ。 「それなら私が…。」 「いや、綾はこの間の傷が完治していない。今はダメだ。」 「そ−言うたかてな−。常康だけ行かしたら綾怒るしなァ。ここはアイツに頼むか。」 * 正宗達が策を練っている間に、頼也達一行は峠の近くまで来ていた。この峠を越えれば 京を出ることが出来るのだが、御所から峠までは遠く、この辺りまで来た時にはすでに日 が暮れかけていた。 「今日はこの街で泊まるしかないのにのう。」 「…でも泊まるったってよォ…。」 「かといって野宿するワケにもねェ…。」 この街を数時間かけてまわっているのだが、どの宿も満室なのである。今日に限って大人 数の旅人がこの街に泊まるらしい。 「あ−あ、どっか宿屋空いてないかねェ…うおっ!?」 「きゃっ!!」 女が幻次にぶつかって倒れた。 「わっ、悪ィ! 大丈夫か!?」 幻次は慌てて女を抱き起こした。 「そちらさんこそ大丈夫ですか? なんや私ぼーっとしてたみたいで堪忍しとくれやす」 「大丈夫だよ、幻次ニブいから。少々の事じゃ痛み感じないよ。」 「アラス、てめえ(怒)」 「それより娘さん、どこか空いておる宿はないかのぉ。」 「宿をお探しですか? それやったら、私の家においで下さい。私の家、宿やってますん やけど、宿場から離れてしもてるからガラガラですんよ。」 娘はあどけない笑顔で言い、3人を宿へと連れていった。 * 「あら、いたのシーファー。久しぶりね。」 「いたの、とはまた。通信を入れてきたのは水瑠璃の方ですよ?」 「『赤火の宝珠』のせいで忙しいんじゃないかと思って。」 シーファーは南の四天王に仕えるとある魔族で、その四天王が狙う宝珠こそ、『赤火の宝 珠』だった。 「まあそれはそれで、あなたの方こそ『黒魔の宝珠』、どうなったんです?」 水瑠璃はふ−、と一息つき、改めて鏡を見た。 「見つかったのなら、こんなに暇を持て余してはいないわ。」 「あなたは新入りのわりに、雑用をこなすのが早いですからね。」 四天王にも色々と、仕事があるのだ。 「それで、サファエル様のご様子はどうだったの? 一緒に行ってたんでしょ?」 「ああ、とどのつまりはそれを聞きたかったんですね?」 シーファーは顔を綻ばせた。水瑠璃は素っ気無い顔をしているが。 「でなきゃ、通信なんてわざわざ入れないわ。」 「相変わらず、ですよ。」 先程の表情から一転し、シーファーは真面目な顔になった。 「そう…。全く、サファエル様からさえお許しをいただけば、いつでもあのゲルマニウム をたたんでやれるのに。楽しんでいられるのは今だけよ。」 「モルゲニウム、ですよ。それにしてもあなたは、四天王のわりに腰が低いですね。私と こうしてタメ口をきいているし、サファエル様を敬愛する気持ちはわかりますけど、部下 にも呼び捨てにされたりしてて、威張っている様子はありませんし。」 「威張らなきゃいけない様な部下は、今のところいないもの。」 その言葉にシーファーは、楽し気な顔をしてみせた。 「とにかく少ないですからね〜、あなたのとこの人員は。それにあなた、い−性格してま すし…あ、失礼。サファエル様には、とっても頼もしい子がついてますよ 」 「妙な話のはぐらかし方ね。」 水瑠璃には怒った様子はない。それもシーファーは楽しんでいる様だ。 「でもそういえば、確かあなたは男嫌いじゃありませんでした?」 「好きではないわね。普通よ。」 「じゃあ、子供趣味なんですか?」 「違うわよ。全く、どこから聞いてくるのやら。」 「でもあの吸血鬼君、男の子でしょう?」 ふーっと水瑠璃は首を振った。 「違うわ。どっちでもないのよ。」 「…? −珍しいですね。それでは、私にも雑用がありますので。」 「サファエル様をよろしくね。」 言いつつもその表情からは心配というより、モルゲニウムに対する嫌悪の方が先立ってい る様なのがシ−ファ−にはわかった。そしてさらりと通信は切られた。 * 「『葵』様。正宗様から通信が来ています。」 「そ、つけて。」 「はい。」 葵の前の大きなスクリーンに正宗の姿が映った。 「よ−、葵、元気しとったか−。」 「お兄様、同じ城の中で通信使う事なんてないんじゃなくて? お兄様がこちらへ来て下 されば良い事でしょ?」 葵はマニキュアを塗りながら画面も見ずに言った。 「まァ、そう言うなや。オレの言いたい事は察しがついとるやろ?」 「京都に行って『静青の宝珠』を奪って来い、でしょ? でも私が行っていいんですの? お兄様の楽しみ減っちゃいましてよ?」 「ええんや。それで終わる位やったらオレにとってもおもろい事もなんもない。そしたら 頼んだで。」 「はぁい。」 通信がそれで切れた。 「楓!」 「はい。」 「あなたが行ってきなさい。」 「…しかし正宗様が…。」 「いいの。私が出張る程の事じゃないわ。」 「わかりました。」 「(仕方ない兄様ね。つまらない事はすぐ私におしつけて、おもしろくなってきたら取り 上げるんですもの。でも私もそんなにヒマじゃなくてよ。)」 葵は不敵な笑みを浮かべた。 * 宿は中々落ち着いた所で、部屋の窓からは峠の滝が見える、一度来れば病つきになりそ うな所だった。 「なーんでこんないい所がガラガラなのか、理解に苦しむな。俺は結構気にいったぜ?」 「こういう風情のある所は反面頑固でもあるから、あまり宣伝等をしないのじゃろう」 満足気に話す2人の後ろで、アラスが溜め息をついた。 「はぁ〜。…完徹はキツイ〜。」 「? 何か言ったか?」 「何でもないー。」 アラスの言う完徹というのは、もちろん昼間ずっと起きていた事だ。 「さて、夜も更けてきておるから、今日はもう休もうではないか。」 「そうだな、明日が大変だぞ。大丈夫かチビ?」 「何だよ、おっちゃん。」 幻次の口元が引きつった。が。ムキになったら気にしているのではないかと頼也に言われ てしまいそうなので、言い返すのはやめたようだ。 「さ、て、と。」 頼也は何やら楽しげに懐に手を入れると、ある物を取り出した。 「くま太郎♪」 「あぁ−っっっ!?」 そんなにふくらんでいた様には見えなかった頼也の懐から、頼也曰く‘南蛮渡来のくまの 人形’くま太郎が出てきたのだ。 「おま、それ、どこに、持、持ってたん、だ−!?」 幻次はちょうど緑茶を飲んでいたところだったので、科白にかなり不自然な読点が入って いる。緑茶は何とか飛び散らずに済んだ様だ。 「わしにはくま太郎が必要なのじゃよv」 「あのなあ〜(怒)」 何のかんのと小トラブルは続いたが、結局頼也と幻次はすぐに眠りにおちた。頼也はく ま太郎を潰れる程に抱き締め、幻次は何度となく寝返りをうっていた。 異変が起こったのは上弦の月が西の空に沈む頃のことだった。アラスはひたすら月の光 を浴びていたのだが、不意に何かの気配を感じ、自分の全神経を外部に向かって研ぎ澄ま した。すると…不意に物音がした。何か柔らかい物が、部屋の天井にぶつかったような。 物音のした方向へ目を向けると、そこではかなり異様な事が展開されようとしていた。 「お…? くま太郎はどこじゃ…?」 頼也があれ程キツく抱き締めていたくま太郎は、何処かへと消えていた。頼也がふっと起 き上がった瞬間…。 「あだぁっっ!」 突然頼也の顔面にくま太郎が落下してきた。 「く…くま太郎!?」 考える間もなくくま太郎は第2撃に出た。頼也の顔をぬいぐるみパンチで殴り飛ばしす。 「なっ…! くまたろ−!?」 「え−…何だぁ?とにかく…。」 くま太郎の愛らしい笑顔で攻撃され、殴られながらもその可愛さに反撃の出来ない頼也の 方までアラスはかけていった。が、途中幻次につまずいてしまい、幻次が半分寝ぼけたま ま目を開け、体を起こし、そしてアラスの服を後ろから掴んだ。 「ちょっと幻次、放してよ! 何で掴むんだよ−!」 「…許さん。頼也の所にはいかせん。」 「…は?」 「お前、ちょっと頼也がくまと一緒に寝る可愛い奴だからって、お前まで一緒に寝ような どとはこの俺が許さん!」 「へ?」 幻次が勘違いの説教を呟く間に、どんどん頼也の顔はひどい状態になっていく…。 「あのさ、何言ってんのかよくわかんないけどアレ見てよ! くま太郎が誰かに操られて 頼也兄ちゃんボコボコなんだってば!」 「何ィっ? あ、本当だ、何やってんだくま太郎−!!」 幻次がくま太郎を何とか押え、頼也はどうにか顔面骨折をせずにすんだ。 「ヨヨヨ…何故じゃ、くま太郎…信じておったのに…。」 「オイ頼也、大丈夫かよ。ったくこのくま…。」 幻次がくま太郎をキッとにらむと、くま太郎は急に大人しくなった。というより、動く、 つまり生きている感じがしなくなったのだ。 「お…? 元に戻ったのか…?」 それを見たアラスは咄嗟にくま太郎を奪い取り、窓を開けてそこから真下に飛び降りた。 「あーっ!? 何やってんだよアイツ、ここは4階…!」 「追うのじゃ幻次!」 「…頼也?」 恐るべき顔面再生パワ−の頼也が、全く真面目な顔で幻次をキッと見据えていた。 「何をしておる! ほれ、行かぬか! 行ってくま太郎を取り戻すのじゃ!」 「お前も懲りないやっちゃな…。」 ブツブツ言いながら幻次は窓まで行き、そこから見えた非常用階段に飛び移り、アラスを 追った。アラスの姿も幻次の姿もすぐに、夜の闇の中に消えていった。 Tale-6 close