宿の窓から飛び下りたアラスは、すぐ近くの滝の中間の岩の上にいた。滝と言ってもそ
んなに高度のない、小さいものであるが。そしてその場所から向こう側の岩には、見るか
らに怪しげな誰かが立っていた。
「ケケっ、賞金首さんよ。さっきのはほんのご挨拶代わりだけどよ、どうだったい?」
本人の言から察するに、賞金稼ぎらしい。アラスを狙っているということは、おそらく魔
族でもあるだろう。
 アラスはくま太郎を片手で持って、その男に見せるように掲げてみせた。
「あのさー。こいつを術か何かで操ったのはいいけど、肝心の標的設定間違えたでしょ。
ばっかだなァ〜」
オレはこの通り無傷だよんと笑うアラスに、男はなっ!? と表情を歪めた。意外に抜けて
いるようだ。
「ま…まあいい。さっきのでわかったろ? オレ様の得技は、操術。こいつをてめ−にか
けて、大人しく賞金かけた奴の所へ持ってくからよ。覚悟しやがれ! 全く幸運だぜ、こ
んな所で黒レベル程度の賞金首に会うとはよ。オレ様は最高、緑の下級まで操ったことが
あるんだぜ!」
得意気に言う男に、あっそとだけアラスは返した。

「ほんじゃ、オレを捕まえてみたら?」
アラスは手にはめていた腕輪をとると、その腕輪を持った手から白い光を溢れさせた。そ
の光を吸収した腕輪は、何と…妙な武器に変わった。それは基本的にただの棒で、両端に
針の様な細長い棒が付いているだけだったのだが…アラスがその棒に気を込めると、針の
周りに突然オ−ラ状の刃が現れた。全体として細身で長いので、スピアというべき武器に
変わったのである。
「ほぉぅ…すごいねぇ、その武器。しかも、変形させて携帯型で持っておけるって事は、
霊法士の造ったモンだな。高かったろうに、その金もムダになるんだなぁ」
返答せずにアラスは跳躍した。ひとっ飛びで男がいる場所とほぼ同じ高さの岩の上にまで
辿り着く。ちなみに霊法士というのは、いってみれば武器、道具造り
のエキスパートのことだ。
「ムダムダ! ほれ!」
男は手の平から球状の光を発生させ、アラスに向かって放った。玉はやがて透明となると
アラスの全身を包みこんだ。
「…!?」
「ケケケ。その玉が割れる時こそ、お前はオレ様の完璧な奴隷。ひゃっひゃっひゃ!」
顔に相応しい妙な笑い方で、男は勝ち誇る。アラスはしばらく玉の中でもがいていたが、
やがてふっと、目を閉じ…武器を構えていた右手は力なく下に下がり、下を向いたまま
玉は割れた。そしてうつむいたまま大人しくしている。
「ケッ。さぁ、こっちに来い。」
アラスは言われるがまま、ゆっくりと男のいる岩までやって来た。男の直前まで来ると男
は、してやったりという顔で、満足気に微笑んだ。が…次の瞬間。

 アラスの手が不意に動き、男はスピアで腕を貫かれ、背後の岩壁に梁付け状態にされた。
「やーいやーい、まじでひっかかったー♪  やっぱりバカだなァ」
はっきりと意識のある目でアラスは男を見ると、右手の人差指を男の首に当てた。吸血鬼
特有の能力として、その指先から男の血を吸収していく。
「き…貴様! 元仲間の血を奪って追放されたってのは、本当だったらしいな…!」
この裏切り者めと毒付く男が、辛うじて立っていられるくらいまで血を奪い取った。
「ああ〜、生き返った〜。―あ、そうだ。よっと」
ことわりもためらいも無しにスピアを引き抜く。その場に座り込んだ男の傷口から溢れる
血を見て、やれやれという顔をすると…アラスはその男の腕に、精霊の回復魔法をかけた。
「…!?」
「血くれたお礼ね。へへっ」
それでも男はダメージが大きく、動けない様だ。座り込んだまま苦し気に口を開いた。
「何故、操術が解けたんだ…? 手応えはあったのに…。」
操術にかからなかったなら、あの玉はそのまま消えてしまうはずだ。玉は確かに、割れた
というのに…。
「教えてあげるよ。…これさ。」
胸元からあるペンダントを、アラスは取り出した。その紐はいつも、肩にかけている布に
遮られて見えていなかったが…。それは、黒い十字架だった。
「セイン・クロスって言うんだけどね。これも、この武器を造ってくれた兄ちゃんに頼ん
で造ってもらったんだ。…タダでね♪」
何となく手持ちの武器の方も、タダで造らせたもようである。
「こっちの用途としては、誘惑とかそ−いうのにかからない様にするため、つまり洗脳を
防いでもらうものなんだ。だからさっきの術は、これに吸収されたみたいだよ。ついでに
ちょっとした魔除けにもなるから、くま太郎にも襲われなくて済んだしね〜。」
つまりは頼也は、アラスの身代わりにされてしまったようだ。
「ま、最大の特長としては…これに力を貯めておけば、いざという時一度だけ自分を守っ
てくれるらしーんだ。だから今日のあんたには、どの道勝ち目は無かったってワケさ」
精気がかなり回復したので機嫌の良いアラスは、わざわざ言わなくてもいい事まで説明し
ている。
「くそうっ…。そんな道具持ってるなんざ、ずるいぜ。大体お前自身に魔除けの影響は全
くないのかよ!? …もういい、好きにしろ。」

 男はとにかく悔しそうに、きつい目付きでアラスを見た。
「う−ん…。ここ(人界)来るの、苦労した? 魔界から。」
「当り前だ! 四天王城との交渉がどれだけ大変だったか…」
四天王城という場所には吸血鬼の城と同じく、魔界から人界へつながるワープゲートがあ
るのだった。
「それじゃ、送り返してあげるよ。」
「…へっ?」
アラスはにこやかにそう言うと、スピアを腕輪に戻して左腕にはめると、右手で空中に輪
を描いた。すると…光で描かれたその輪の中は真っ黒になり、異様な緊迫した空気が流れ
出した。言ってみれば、そう…周囲の空間が歪んでいるような緊迫さで。
 次にひょいと男を持ち上げると、その輪の中に放り込んだ。周囲の空気は放電までし始
めてている。
「こ、これは…異次元移動術!? 黒レベルの奴がこんな力使えてたまるかぁー!!?」
男の驚きは相当なものだった。
「じゃ−ね、バイバイ♪」
男を吸い込むとその輪は閉じ、空気に静寂が戻った。本当に何事も、無かったかの様に。
「ふい〜。あー、助かった助かった。」
色々な意味でアラスは、そう呟いていた。

 それから少したつと、幻次が滝の下からアラスのいる場所まで登って来た。
「お−い、何やってんだよお前! 何でこんな所まで登ってんだよ。」
「別に〜。何でもないよ。」
「ったく、何でもないわけあるか! 大体何でお前、4階から飛び降りて無事なんだ? 
―あっ!! そうだ、くま太はどこだ!? 頼也に怒られる…」
突然思い出して焦ったらしく、くま太郎の郎は省略されていた。
「ハイ。もう大丈夫だよ。」
アラスが元々いた岩の上からくま太郎を取ってき、幻次にほいと渡す。
「本当に大丈夫なのか? 何でそんな事わかるんだよ。」
「まーまー、いいってこと。頼也兄ちゃん待ってるよ、きっと。」
「んじゃ、帰るか。ったくよ…一人で勝手に、どっか行くんじゃねえよ。」
心配するだろバカ。とは、この際言わない幻次だった。
「はァーい。 了解〜♪」
―ん…? 幻次は一瞬、笑って答えたアラスの目が、緑に光った様な気がした。しかし大
して重要にも思えなかったので、何も言わなかった。

 そしてその夜はその後、特に何も起こりはしなかったのだった。

                                       *

  あれから数日かけて頼也達3人は、東北地方に辿り着いた。今(?)で言う宮城県辺りの
場所である。さすがに東北とあって京と違い、雪が降り積もっている。
「さっ、寒−っ。」
「さすが東北! 涼し−な!」
「幻次…涼しいって次元じゃないよォ−!?」
「こやつは昔から暑さ寒さをほとんど感じんのじゃよ。要するに鈍感ってヤツじゃの。」
「うるせ−な。お前らが敏感すぎるんだよっ!!」
「(しかし妙じゃの…いくら東北とは言え夏場にこんな雪が降るなんて聞いた事ないのぅ。
わしの知識不足なんじゃろうが…。)」
サクサクと雪を踏みつけながら少し先に見える村を目指した。するとその途中に少女が倒
れていた。
「どうしたの?」
アラスが少女に尋ねると、少女は辛そうに答えた。
「野ウサギさ捕まえるワナにかかってしまって…。」
見ると、少女のわら長靴にワナが食い込み、血が泌んでいる。
「イタそ−っ!!」
「感心してないで助けてやるのじゃ、幻次。」
「おう。」
幻次はワナに手をかけ、思い切り開いて破壊した。
「ありがとう。お礼がして−だよ。ぜひともオラんちへ来てけろ。」
「礼はともかくその足でこの雪の中を歩くのはキツいの。幻次、背負ってやるのじゃ。」
「何か力仕事はみんなオレだな。まァいいけど。ホレ、ね−ちゃん、乗んな。」
幻次が屈んで背中を差し出した。
「でも…。」
「遠慮しなくてもい−よ、幻次だったら大丈夫だから。バカ力だもん。」
アラスが笑顔で促すと、すまなさそうに少女は幻次に背負われた。

「オラ、楓ってゆ−だよ。みなさんはこんなヘンピな村に何の用だ?」
一応一行の自己紹介は、済んだようだ。
「わしらはとりあえず、北陸にあると言われておる港町に行こうと思っておる。ここには
ちょっと通りかかったんじゃよ。」
「そォか、んじゃ、今日はオラんちでゆっくりしてくとええ。今夜は吹雪になるらし−か
ら。おっかあもおめ−さんらみたいなキレいな人達だったら喜ぶべ。」
「じゃ−、お言葉に甘えさせてもらおうよ。こんなサムい中これ以上歩けないし。」
「そうじゃの。」

  それから数10分歩き、楓の家に着いた。
「おっかあ!! ただいま!」
楓が戸を開けてそう言うと、向こうから凄い地響きがしてきた。
「楓ぇぇ−っ!!」
「!!!」
3人は絶句した。中から飛び出して来た地響きの発生源、つまり楓の母は、楓とは本当に
親子かと思うくらい、似ても似つかぬ凄い容姿をしていたのだ。例えて言うなら雪国によ
くいる、熊の様にでかく、そしてムサいおっさんを女にした様な(いや、女と判断出来た
のは服装と化粧の功績だが。)恐るべき生物なのである。
「どこさ行ってただ!? おっかあはすんごく心配しただよー!!」
「野ウサギさ追っかけてたら、ワナにひっかかっちまって、動けなかっただよ。だども、
この人達が助けてくれて。」
楓の母が3人に目をやった。3人はビクつき、硬直してしまった。楓の母が口の端をつり
あげている。どうやら笑顔らしい。
「これはこれは、楓さ助けて頂いたそォで、どーも、どーもありがとうございました。」
「…い、いえ…。」
そう答えるのが精一杯だった。
「それでね、おっかあ、今日吹雪になるって長老言ってたべ? だから、ウチに泊まって
もらったらどーかと思って。」
「いっ、いや!! いい!! 悪いから! 宿探すし!!」
幻次が必死で断ろうとしたが、ムダだった。
「遠慮せんでええ。おめ−さんらは楓の命の恩人だあ。それにこげなべっぴんさんだァ、
大歓迎だべ! いいから、泊まってけ!!」
はい…と、結局3人共楓の母の迫力におされて、楓の家で一泊する事になった。

「ここが頼也さんの部屋だべ。」
幻次とアラスは既に自分の部屋で休んでいる。1人1人に部屋をあてがってくれ、しかも
結構広い部屋でありがたいのだが、あの母の迫力にずっと付き合わなければならないと思
うと、野宿の方がまだ楽だったかなと3人共思っていた。
「楓殿、楓殿は父上はどうなされたのじゃ? 仕事か何かかの?」
「…おとうはおっかあと2人で狩りさ行った時、羆に食われて死んじまっただよ…。」
頼也ははっという顔になった。
「悪い事を尋いたのう…でも、母上だけでも助かって良かったの。」
「はい。おっかあはおとうの仇をとって、羆をめった打ちにしてきてくれただよ。おっか
あは最強だぁ! オラの自慢だべ!」
「(ああ、あの母は最強じゃよ。確かに…)」
「じゃ、頼也さん、ゆっくりしてくんろ。」
「ああ、ありがとう。」
楓が部屋を出て行くと、空気が変わった様な気がした。
「(あの綾とかいう物怪と、同じ様な空気を楓殿は持っておる…。まさかとは思うが、一応
用心しておかぬとな。)」
窓の外は吹雪で真っ白になり、隣家でさえ見えなくなっている。


  さて、妙な縁で楓の家泊めてもらっていた頼也一行は、夕食を御馳走になっていた。
「こ、これは…。」
今絶句したのは幻次だ。彼の膳の皿の上に乗っていたのは、まるで巨大ゴキ(以下省略)
の様な物がキツネ色にこんがり染まり、青菜が添えてある物だ。
「これはこの村の名物、『アイゼンヒュッテンシュタット・イプスウィッチ・ヴィアナド
カステロ・エンセナーダ・オスカルスハムンの小金焼き』だべ。焼き上がる直前に、雪さ
たくさん詰めた箱に移して冷やすと、こんなになるだ。」
「はは…はあ…。」
何やら怪しげな、地名やら何やらの名前を繋げたその物体は黒光りし、とても食べる気に
はなれなかったのだが…楓の母のごつい笑顔におされて結局、必死に食べていた。一方ア
ラスや頼也の膳には大して目立つ物は乗っておらず、頼也は漬物の様な物を美味しそうに
口に運び、アラスは御椀に入った吸い物に口をつけようとしていた。
「(俺達にかかる不運は絶対、俺が1人で引き受けてるんだ  …ったくよぉ…)」
「…っ」
幻次の哀しい被害妄想(?)は、アラスの突然の声によって打ち切られた。
「どうしたのじゃ?」
頼也が不思議そうにアラスの椀を見た。するとアラスは椀を置き、こう答えた。
「オレ、この具苦手なんだ〜。ごめんね、おばちゃん。」
椀の中に入っている、野草のような具をさしていう。楓の母は別に、怒りはしなかった。
「別にかまわねえだあ、苦手な物はしょうがねえべな。」
「(あーあーあー! 俺も‘虫は苦手’とか言やぁ良かった! 何で真面目に食ってんだ
よ俺!!)」
悔しがる幻次をよそに、アラスも楓の母も、表面的には笑っていた。が、少なくともアラ
スの目には、笑いの表情はなかった。

  夕食の後アラスはすぐに自分の部屋へと戻り、幻次は頼也の部屋の方へ付いて行った。
明日の移動計画を練るつもりだったのだ。
「幻次、『あいぜんひゅってんしゅたっと・いぷすうぃっち・ヴぃあなどかすてろ・えん
せなぁだ・おすかるすはむんの小金焼き』は美味であったか?」
「るせ−な、何でそんな長ったらしい名前覚えてやがるんだよ。」
やはり頼也は、幻次の無理などお見通しである。
「小金焼きと言うところがまた、みすまっちでおもしろかったの  」
「さっぱり聞いた事がねぇよ。大体無理して横文字使うなって…―あ?」
「どうしたのじゃ、幻次?…―お?」
2人してほぼ同時に、頭がぐらっと揺れるような感覚を味わった。
「何か、すっげー眠気が…」
「わしもじゃ。やはり疲れておったのかのう…? そう無理した覚えは……」
最後辺りは言葉にならず、頼也と幻次は眠りの世界におちた。

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