ようやく雪野原の雪は降りやみ、後は夏の日差しで溶けるのを待つだけ−…という時に
1つ、異変(と言う程でもないが)が起こった。
「あ…何か…クラクラする…。」
「幻次? どうしたのじゃ!」
「無理もないよ、雪崩で相当体力奪われてからあの出血だもん。血は大方体に戻したけど
さ…ショックは当分続くと思うな。あのクシ刺しで生きてる人間なんて滅多にいないよ?
も−、幻次の体力は爬虫類ナミだね。」
吸血鬼の特殊能力で幻次の血を回収し、元へ返したアラスがからかうように言った。
「それに、この雪は普通の雪じゃないから、精を少し吸われるのかも…。」
エンジュラもそろそろと口に出す。
「あ−、そうかい。…ところで嬢ちゃんはよ、どこに行こうとしてたんだ?」
「う−ん…。(宝珠の持ち主といきなり出会うなんて、思わなかったんだもん…)」
エンジュラは少々危惧していることがあったが、今の状態なら大丈夫かなとも思った。本
当なら彼女は、宝珠の守護者には関わってはいけない…というより、宝珠の守護者の手助
けをしてはいけないのだ。天界と魔界の盟約の上で、そうなっているから。
 けれどどうやら、彼らはまだ、宝珠を持っているだけの段階…守護者としての自覚はな
いらしい。それなら自分は“守護者の手助け”をしたのではなく、“四天王の思惑に巻き
込まれた者達の手助け”をした…に、とどまることになるからだ。ずるい抜け道ではある
が、盟約や法というのはそういうものだ。
 それはそれとして…エンジュラは、彼らの事が気になっていた。
「私も貴方達についていっちゃ、メイワクですか?」
「それは全然かまわぬが…理由くらい尋いてもいいかのう。」
「…。天使は悪魔の干渉を止めるのが仕事のうちの1つなんです。本当はあまり人間と関
わっちゃいけないんですが…でも、貴方達、ただの人間じゃないし…アラスっていう悪魔
もここにいるし…。」
だから一応、表向きの名目はアラスの監視に近いと言いたいらしい。

「オレ大歓迎! フェンリャといたら、昼間は下級の魔族に襲われずに済むもん。天使に
昼間ケンカ売るバカなんていないよ。余程の奴じゃナイ限りね。」
「そ−だなァ、嬢ちゃんがいりゃこのムサい集団もちっとは爽やかになるってもんだ。」
いつの間にか体力を回復した爬虫類、いやゴキ(以下省略)並みのムサい元凶が、軽〜く
意見を発していた。
「でもさ幻次、天使って性別ナイんだよ?」
水瑠璃によると自分自身もそうなはずのアラスが、自分の事は棚に上げて言った。
「まあ、そうこだわらずに。さあ、雪も溶けてきたことじゃし、前に進むのじゃ」
そう言って頼也が歩き出すと、途端にエンジュラが止まった。
「あの−…そっちへ行くと、本当の雪がある山の方へ行くことになっちゃいますけど」
この発言に一同は一瞬しんとした。これも天使の特殊能力の一つで、何となく道がわかる
ようになっているのだ。
「頼也ぁ…方角くらい調べてから行こうぜ。」
「頼也兄ちゃん、意外にヌケてるね…」
「何だとぉ!?」
「な、何で幻次が怒んの!?」

「…フシギだなぁ…。」
場に合っている様で実は全く違う事を指すエンジュラの言葉に、頼也は素早く反応した。
「エンジュラ殿?」
「悪魔に利用されたり、利用したりするっていうのが悪魔と人間の姿なのに。そういう関
係がフツウなのに…。ここじゃ全然違うみたい。」
頼也は何か答えようかとも思ったが、自問の意が強かったのでそのまま黙っていた。その
代わりに喋り出したのはアラスだ。
「オレ、悪魔らしくないってもう2回程言われたもん。契約も全然しないしさ」
だから確かに変だけど、これじゃダメなの? と尋ねるような目をする。
「…そ−よ! 吸血鬼って、たとえ契約でだってセコい血のもらい方するんだから! 頼
也さんに幻次さんはダマされちゃダメですよ!」
「あのさ…いくら何でもオレ、こんなコワい兄ちゃん達の血貰お−とは思わないけど。」
「(ど−ゆ−意味だ?)」
「(のう? 姉上は確かに恐いがの。)」
「信用出来ないもの! もしこの人達に何かしたら、すぐに魔界へ返すんだから!」
「またそれ−? カンニンしてよ〜(汗)」
2人のやり取りは本人達はともかく、他から見るとまるで、仲の良い者同士のじゃれあい
だった。
「(そうじゃな、確かに珍しいじゃろうな。天使と悪魔がこんな風に一緒におるのは…。
多分両方共が、‘らしくない’からじゃろうのう…。)」
それが頼也の、エンジュラへの答えだった。心の中で。

                                     *

「な−んかおもろい事になっとるな−。南も西も。それに比べてオレら東は何て平和主義
なんやろ。な−んにも起こらへん。」
「正宗様が動かないんですもの、何も起こるワケありませんわ。」
つまらなそうに呟く正宗に、綾が冷たく言い放った。
「う−ん、それもそ−やな。綾え−事言うな−。しかも可愛いしv  食べてまいたいわv」
常康の手から綾を抱き上げようとすると、綾が正宗の手に噛みついた。
「いった−!! 何しよんねん、指ちぎれるやん。」
「私は常康様のものです! 軽々しく触らないで下さい!」
綾はつんと向こうを向いてしまった。
「綾。」
常康が嗜める。しかし正宗は気にしない様で、カベのスクリーンを笑いながら見ていた。
「オレが動かんでも、よう動いとんのが約1名おるやん。」
正宗は楽しそうに言った。
「も−すぐ楽しくなりそ−やな。」

                                     *

 頼也達一行は中々本物の街に着けず、ひたすら歩き続け、ついには青森の海辺の街に辿
り着いた。そこで林檎農業をやっている林吾作という男の家に、今は世話になっている。
「ほ−れ、兄ちゃん達、た−んと食べてけろ。」
「「「わ…わ−い…。」」」
3人は完全にうんざりしていた。ここ1週間ずっと林檎のフルコースばかりなのである。
「まだまだあるだよ、林吾作の林檎の純愛らぶそて−。林檎と羆の血みどろ格闘技。お口
直しは等身大、林吾作の林檎ゼリー! さ、食え。」
〈なあ…東北の人間ってど−してこう変な食いもんばっかり作りたがるんだ? しかも見
ろよ、この林檎ゼリー。吾作さんの姿ってだけで十分辛いのに、裸体にはっぱ一枚でアダ
ムとイヴ気取ってやがるぜ。ゼリーの艶で妙に艶めかしいしよ。俺これだけは死んでも食
わね−。〉
〈そう言うな。幻次、わしなんて元々林檎自体好きじゃないんじゃぞ。もう、この1週間
ぢごくえずの様じゃ。〉
〈だってどこに船があるか誰も知らないんだもん。手がかり得るまではしょ−がないよ。
オレ別に、食べても食べなくてもい−んだけどさ。〉
〈私はこの林檎好きだよ。〉

 頼也達の内緒話が少し耳に入った様で、吾作はパッと4人の方を見た。
「お前さん方、まさかこの1週間船さ探してたんじゃね−べな?」
「ああ、そうじゃよ? 吾作殿、どこにあるか知らぬかのう?」
「船ならね−べよ。」
吾作はあっさり言い放ったが、4人の頭は内容を理解しようとはしなかった。人間、誰で
も理解したくないものは理解しないものである。数秒の沈黙を幻次が破った。
「船が…ねェだと?」
「ああ。1ケ月前にトナリの吉じいがボケて夜、嵐の中船を出しちまってなあ。岩にぶつ
けて船は大破したんだけんど、吉じいは300mも先の沖から泳いで帰って来た時もムキ
ズでピンピンしとったんだあ。そん時の第一声が‘妙子さん、飯はまだかいのう’だった
からオラ達ぁ安心と共にムカついて吉じいをそのまま海に還しちまっただよ。そしたら今
度は別の異国の大陸に着いちまったらしくて、手紙にもう帰って来んって書いて…
「吉じいの話はど−でもいい!! 船はねェのか!?」
「ねぇ。」
「1隻もか!?」
「ねぇ。」
頼也が箸を落とした。この1週間のぢごくは一体…。そんな事が、3人の頭をよぎった。
しばらくの沈黙…。そんな中、吾作ゼリーだけが不気味に妖しい体を揺らめかせている。
まさに3人共、そしてエンジュラまでも微妙にめげ始めたのだった。

「ささ、型造りに2年さかかった等身大吾作のリンゴゼリー、遠慮せずに食うべ! これ
さ食べた後は、‘吉じいのその後 たゆたき愛−いくら丼の葛藤・大ドキュメント’を!」
本気でめげる程に、吾作は元気だ。その元気さに3人は、更に気勢を削がれていた。唯々
う−…と、互いの顔と吾作ゼリ−を交互に眺める。
〈そんな型に2年もかけんなよな…はた迷惑な…〉
〈どうするのじゃ〜。あんなに瞳をキラキラさせておるぞ〜。〉
〈オレもう、ぎぶあっぷ…。兄ちゃん達、後は頼むよん…じゃね〉
吾作の注意が一瞬逸れた時に、突然アラスは消えた。代わりに1匹のコウモリの様な小動
物が、天井の方へ飛んで行った。
「あんれ…あのちっこいのはどこさ行っただ。まあええ、さっ。」
〈ズルいぞアイツー!〉
〈ほう、さすがは吸血鬼じゃのう。〉
〈落ち着いてるバアイか? …―! オイ、このゼリー…何か溶けてきてるぞ…。〉
絶句。
〈…あ、この水の滴り具合がまたの…。〉
「とにかく!」
先程からしみじみと吾作ゼリーを眺めていたエンジュラが、2人のどん底の内緒話を打ち
切った。
「このままじゃ何も話進まないですよ。確かに見た目は‘サイアク’ですし、かなり‘ム
ダ’な使い方されてますけど! …とりあえず何とかしましょうよ。林檎が可哀そう…。」
エンジュラは真剣に、吾作ゼリーをケナしていた。
「そ、そうじゃのう…?」
「た、確かに、なァ。嬢ちゃんは食べよーとしても食べれないしな。」
「おめ−さんら、誰と話しとるだ? そんりゃ、この吾作がいっぐら魅力的だからって、
嬢ちゃんはないべよ〜♪」
天使は普通の人間には見えないので、吾作がステキな勘違いをするわけである。

「そうじゃのう…」
「よっ、頼也!?」
今のは先程の吾作の言葉をまるで、頼也が肯定したかの様に見えたのだ。
「違うのじゃ。植物というのは何故にいつも、黙って人間に身を捧げるのじゃろう、と考
えておったのだ。動物なら少しは抵抗するであろう?」
「…は?」
幻次は頼也の言いたいことがよくわからなかった。
「植物には基本的に、我が無いんです。だからたとえどんな要求であれ、植物は他者の我
に従います。逆に言えば我の無い魂こそが、植物に生まれるってことなんですけどね。」
「ほう…随分詳しいんじゃの、エンジュラ殿は。」
「私達天使は、我の無い魂を沢山この翼に持ってますから。これで地上の植物を絶やさな
いようにするのも、仕事の一つです。だからわりと身近なんですよ。」
「成程、のう…。ーでは、ここは頼んだぞ。幻次。」
眠そうに話を聞いていた幻次が、は−っ  ととびあがった。
「幻次…わしは林檎が好きではないのじゃ…頼也一生の願いじゃ。」
「あ、え−と、そのさ、そ−いうのってアリかよ…。」
頼也のこの一生の願いに幻次は弱いのだ。たとえ何度あったかしれない願いでも。それで
もやはりためらいつつ、吾作ゼリーを見つめ直した瞬間−…それは消えていた。

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