糖種が殺されてから突然場に現れた美しい女性の霊らしきものに、糖良と種良が悲鳴を
あげた。
「ああっ姉様! 姉様ァ−! 何とこんな姿にィ〜!」
「あ−っ、お可哀そうにィ−!」
「何でやねん!」
その霊を図々しくも姉と間違える2人を見て、クラルは一行を代表し思いっ切り叫んだ。
一体こいつ何人…と思う口調だ。美しいその霊はどうやら真下の死体を見ているようだっ
た。
 サラサラと長い髪をなびかせる。風もないのに涼しさを覚えてしまう、冷たい目をして
いた。もちろん足は無い。魂が形をとるのは意外に難しく、死天使程の高度な存在である
霊魂でようやく、きちんとした自己の形をとることが出来る。が、未練か何かで生者の世
界にしがみつく、虚ろな魂が己の形を作るのは難しい。
 
 それはともかく、シーファーすら何も言えないでいると、クラルはやはりマイペース、
おそるおそる霊を見ると、一息飲んで言った。
「何かあったの…って…へ?」
なるべく優しく言おうとした時、霊は彼に近よってきた。ますます寒気がした。
「あ…あの…俺…?」
周りに助けを求めようとしたが、目が離せなかった。逃げ腰になりながらも見てしまう。
霊は彼に自分の冷たい手を頬に近付ける。すっと通り抜け、今度は顔を近付けてきた。
「クラル!」
見るに見かねてルーファウスがクラルの肩を自分の方へ引っ張り、クラルを後ろへ押し飛
ばした。受け止めたのは何と幻次。というよりそこにいた。
「オイオイ。大丈夫かよ」
「あれ?」
幻次は霊を見て言うと、いつも通りに暴れられないクラルがまたボケた。ルーファウスは
霊とにらみ合っていた。すると。
《あなたではない…どいておいて…邪魔をするでない!》
口は、動いていない。アラスやリーウェルやシーファーが使う、違う言葉を喋っていなが
ら実際は精神波で会話している、所謂テレパシーと近い能力だ。この能力は人間以外の、
力を扱う種族なら大体誰でも持っている。それらをルーファウスが悟った時霊の目が光り、
ルーファウスはクラルより後ろへ飛ばされた。
「ルゥ!」
サファエルとクラルがどうした事かとルーファウスを見た。サファエルはルーファウスの
所へ行ったが、クラルは、霊を今度はにらみつけた。
「ここは、あんたのいる所じゃないんだゾ…。今すぐ消えろ。そしたら許してやる…!」
怒りのこもった低い声で言った。そばにいた幻次はびっくりした。
(このガキ、いいセーカクしてやがるぜ…)
《妾の…いる所ではないと申すのか…》
「そうだよ。どけ! 邪魔なんだよ!」
いつまでも消えない霊に怒鳴った。
「俺達は今他の事にかまってられねーんだ! 一生転生出来なくなる前に消えろ!」
《お主達にはどうでも良い事…でも妾には…妾と万里様にとっては…特別の事なのだ…》
思いつめた様に言うとまた目が光り、クラルにだけ異変が起きた。

「…? オイ。どうした?」
幻次は、光を見た後動こうとしないクラルを見て戸惑った。
「…。カハ…っ!」
喉を押さえて次第に苦しそうにした。幻次にはさっぱりわからなかった様だ。
「いかん! 幻次、手を貸せい! クラル殿は息が出来ぬのじゃ!」
「何ー!」
ルーファウスは向こうの方で茫然とした。次第に怒りが彼を襲っていった。
「ど−すんだよ頼也! このガキ死ぬぞ!」
「…! がんばるのじゃ、クラル殿! 解呪の法をうてるまで持ちこたえるのじゃ!」
ほとんど周りの空気が吸えない。恐怖と苦しみでますます苦しくなっていった。
《生き返るため…妾と万里様のため…死ぬがよい…》
「これはおそらく精神的なものですネ。クラルさん、気を確かに。大丈夫、心を強くしさ
えすれば、すぐ解けます」
シーファーが幻次で支えられているクラルの前にしゃがみ、言った。成程と頼也が横で納
得する。その時、リーウェルが叫んだ。
「魔物だ−!」
悪い時には悪い事が重なるものである。が、アラスとリーウェルは不敵に笑った。
「ここはオレ達に任せてよ。ね、リーウェル。」
「そうそう! オカマよりず−っとマシだい!」
いわゆる、得意分野というやつだ。そう言って魔物を相手に戦い始める。

  しかしその一方…クラルの顔色はますます、苦しそうなものになった。
 突然現れた女の幽霊に吹っ飛ばされたルーファウスは、後方でサファエルに、
「頼む、クラルを…」
飛ばされて木にぶち当たった時の衝撃でまだ動けない。ので、サファエルに頼ったのだ。
「…わかった…」
何でオレが…という渋面を見せつつ、早足で前へ出たサファエルに、シーファーが熱い目
を送った。彼はそれを跳ね飛ばして、
「霊じゃ切れない…けど、その歪んだ心なら切れるだろう」
そう言うと、サッと目の色を変えた。
  肉体の死は魂単体への回帰だが、魂の死は真の消滅に他ならない。その危険を本能的に
感じ取ったのか、霊は少し怯えた表情だ。
《お前も妾の敵…!》
サファエルは一瞬で霊の近くに来た。そして、小声で言った。
「周りは皆、敵…ってナ」
かなりの大技らしきものをその霊にぶっ放した。
《ぎゃアアアアアアっ!》
「効いたみたいだな。霊のくせに」
「おお! さすがじゃのう!」
「何が」
頼也が誉めて幻次がつっこむ。魂の意思を壊すには、小細工はいらない。その魂を攻撃す
ればよいのだ。ただし、攻撃と言っても物理的なものではいけない。霊は物理的なもので
はないからだ。その辺りの呼吸がなかなか難しいものなのだ。下手をすればそれは、存在
すら抹消してしまう、真に残酷と言える処遇にもなり得る。
「…! サ…サ…エ…ル…!」
霊の叫ぶ声を聞いて、少し目が醒めた様だ。クラルは、喉が切れる程力を入れた。
「…ろ! や…め…!」
しかしその声はサファエルには届かず、またさっきやったものを飛ばそうとした。
「ユーレーは、早くあの世に還るがいい」
《何故! 何故なの! どうして皆が妾の邪魔ばかりするのじゃ! 妾は、ただ一緒にい
たかっただけなのに!》
クラルはその声を聞いてビクっとした。サファエルは、呪文の詠唱中で聞こえなかった。

「…―やめろ!!!  サファエル!!!」

 一瞬。自分でも何を思ったのかいきなり大声を出し、息も出来る様になった。
「…あ…っ! 喋れる…」
「…(何なんだ一体…)」
手伝わされた上に怒られたサファエルは、怒りを通り越して呆れてかえっている。最初っ
からそーしろとでも言いたいのだろう。
《何故なの…邪魔しないで…!!》
霊は、白い手を顔の部分に当て、涙を流していた。決してサファエルの力に怯えたのでは
ない。クラルはそれを見て、今までの怒りを忘れた。
「…誰も邪魔なんてしないよ。泣かないで」
女が泣くのは駄目らしい。
《嘘じゃ…皆で邪魔をするのでしょう…》
「…しないよ!」
《…本当ですか…? …本当ですね…》
霊から再び光が走る。余程未練の強い霊なのだろう、持っている力が半端ではない。
「―! 何だ!?」
今度は長い髪が首に巻きついてきた。
「クラル!!」
ルーファウスが叫んだが、その髪はクラルを覆ってしまっていた。
「わ! ちょっ…と! 苦しい!!」
《言ったでしょう? 邪魔しないと。だから死んで…妾と万里様のために!》
女がまるで悪魔と化そうとした瞬間。もう1つ光が現れ、霊の髪の力を抜いてしまった。

「…? …あ−、苦しかった…って、何だあれー!」
もう1人の霊。男の霊だ。霊というより思念体かもしれない。姿形がはっきりしていた。
《万里…様…どうして…ここに…》
《五月。もうやめなさい》
「何なんだ…」
ルーファウスが一言もらした。やはり万里という霊はしっかり意思を持っているらしく、
五月という名が判明した女の霊に言った。
《五月、やっと会えたのだ。もうこんな事はしないでよい。我々の行くべき所へ行こう》
「…あの…一体何なんだ? 苦しかったのは俺なんだけど…。」
《すまない。だが彼女の気持ちも少しはわかってほしい》
その霊五月は、殺された恋人万里の後を追って死んだと万里が話した。結婚もすぐに控え
ていたらしい。
《戦は日に日に激しくなり、結局私達は祝いもせぬままとなってしまい、自ら死を選んだ
彼女だけが、この世を迷うことになってしまった。もう何年も…。五月、1人で辛かった
ろうが、もういいのだ。もうお前は‘自害’への償いをする程苦しんだ。行こう》
「1人で何言ってんだ」
ルーファウスが怪訝そうに言った。振り回されたのだから仕方ないが、もうどうでもいい
から早く治まってほしい。が、その五月という悲しい霊に、同情しない訳ではなかった。

「1つ聞かしてくれよ。何で今まで万里は来なかったんだよ」
《私は、成仏していた。死の世界にいるということで少々手間がかかったのだ》
「(ますますわからん…。)けどもういいんだろ? 五月…さん、この世じゃなくても、
きっと2人なら幸せだよ。もう泣かないで、許してあげるから」
《…ごめんなさい。ありがとう…。妾はある人に言われたのです、あなたを殺せば生き返
れると。万里様ともう一度会えると》
「ある人…?」
《五月、行こう。我らは既にこの世界の住人ではないのだ。長居をしては還れなくなって
しまうし…》
万里が手を取ると、五月はさっきまでとはまるで違う様に見えた。2人は1つおじぎを全
員にして、2人一緒に消えてしまった。6人はそれを見届けると、肩を下ろした。すると
「ピース、楽勝楽勝!」
「ただいま−、サファエル。あ−、おもしろかった!」
魔物と戦っていた2人が、魔物を追い払って帰ってきた。大勝利したらしく、ゴキゲンで
ある。サファエルはリーウェルを出迎えて、頼也はアラスを出迎えた。
「ひゃ−、大人顔負けだナ−。すごいじゃん、2人共」
クラルがほっと一息ついて声をかける。2人は得意そうに笑った。

「でも、ある人…って誰だろう? 俺を殺したい奴って…。」
ルーファウスに尋いてみる。大方検討はつくのだが。
「…あいつしかいないだろう」
ルーファウスがボソっと言った。何となく口には出さない。だが、ザイスィのことを言っ
ているのに間違いない。頼也は幻次と喋っている。
「フウ。人騒がせだったのう。どっかの誰かさんと…なあ幻次。」
「何で俺を見るんだよ! 誰かさんって誰だよ!」
(わかっとらんのう、少々ボケたつもりなのに)
 そして、忘れられかけているカマ2人。消えてしまった霊を見てますます叫んだ。
「あ〜、姉様、お幸せにィ〜!!」
「来世で必ず報われますことよ〜!」
「何でやねん!」
クラルも呆れるカマ2人。

 皆がさて、どうしようと考えていると、今度はエンジュラがアラスの前に現れた。
 アラス、頼也、幻次以外はあ、さっきの、という顔をする。
「あ−、フェンリャ!」
「おお、エンジュラ殿」
「嬢ちゃん」
突然現れたエンジュラに少し驚いたが、懐かしそうに呼ぶ。クラルとルーファウスは、最
近そう言えば変わったものばかり見てるなあ、という風に目線を軽く交わす。
「天使だって言ってたよね。エンジュラちゃん」
と言ってもクラルの宝珠の中に入っているエルーナも天使に見えるが…。ルーファウスも
もう割り切っているようだ。
「もう終わったんだよね、さっき何か騒ぎがあったみたいだけど………―!!!?」
喋りかけようとアラスの方を見ると、肩越しに首のない糖種を見、真っ青になった。
「フェンリャ…!」
「ムリないのぅ。この子は天使じゃし、これは酷じゃのう…」
頼也は、勘違いで少しは元気になったがまだ座り込んでいる2人のカマを見た。
「とりあえずここから出ませんか? いつまでもここにいるのもあれですし」
シーファーが提案した。とりあえず全員動き出した。エンジュラは消えそうにその姿を薄
くさせながら、それでも何とかついてきた。
「…」
アラスはそんなエンジュラに付き添いながら、複雑な顔をする。頼也はカマ2人に向きな
おり、説いた。
「人を失った悲しみを味わったのう。今まで浄化してきた人々にも、愛する家族がいたの
じゃ。それを心に留めておくがよい。それでもまだやると言うのなら止めはせんが、どん
な結果になるかは知らぬよ。後は主らに任せる」
そう言って、頼也も歩き出した。

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