ザイスィの部屋では、彼1人がベッドに座っていた。また顔色が悪い様に思える。何か
考え込んでいる様だった。目がうつろになっている。
「何が…何が‘優しい’だ…そんなものがあるから…!!」
両手を強く握った瞬間、近くの花瓶が割れた。手からは血が出ている。
〔お兄ちゃんは優しいから〕
昔、ライエルに言われた言葉だ。
−それが俺にとってどれだけ苦しかったか…。−

  まだ3つの時、一度だけ南以外の国へ行った。2人だけで。そこの空は青くて、とても
キレイでたまらなく眩しかった。その空が好きだった。俺だけ。だから俺は母さんに好か
れなかったんだ。悪魔の力を受け入れることが出来ないから。だから何も考えないように
して…青かった空も忘れて、なのに…ライエルは違っていた。−
〔ラル。ボクのことみんなキラウんだ。〕
〔お兄ちゃんは考え過ぎだよ。お母さんの前で優しさを出しちゃダメ!〕
〔優しい…といけないのかナ。〕
〔お兄ちゃんは優し過ぎるよ。キレイなものを好み過ぎるんだよ。〕
〔(じゃあ全部忘れればいいのかナ?…。あの空も忘れればいい?)〕
「…っ!!やめろよ!!お前の言うことは俺を苦しくさせるだけだ…。」
〔でも、そんなお兄ちゃんが好きだよ。ずっとそのままでいてよ。ボクはずっとお兄ちゃ
んを好きでいるから。〕


〔(全て忘れたらいつか誰かがボクのこと好きになってくれるかナ…。)〕


  その日、ライエルの部屋へ行くザイスィの姿があった。

  魔族の力は、優しさが有れば力が有れど使いこなせないことが多い。ザイスィは元々、
とんでもない優しさを持っていた。それがライエル以上であったため、ライエルより弱く
なってしまう。その分母親から辛くあたられたのだ。彼は今でもそれを心の傷として残し
ている。ライエルに対しては、自分と同じものを綺麗を思う心があったにも関わらず、母
親に好かれていた、という許せない部分があった。彼は不器用だった。ライエルの様に生
きれなかった。小さい頃の思い出は、彼を狂わせる要素でしかなくなっていた。

                                     *

  魔王の城は魔界のほぼ中央に位置する。普段から結界が張っており、低級の魔族はむや
みに近付けない様になってある。サファエルとリーウェルが城に着くと、既に正宗が来て
いた。1匹、猫をサファエルと同じ様に抱いて。
「やぁ、久しぶりやな。あれま? サァも猫こうとるんか?」
「あぁ。あなたも飼っていたのか?」
「つい最近からやけどな。」
アハハハーと笑いながら正宗は葵の頭を撫でた。
「ニャー!!(きぃ−! 覚えてらっしゃい!!)」
サファエルは各々に用意されていた椅子に座った。
「ニャー。(ねえサファエル。)」
「どうした?」
「ニャニャー。(あの子、一応人型だよ。多分変えられたんだ。)」
サファエルはさほど驚きはしなかったが、正宗への見方は変わった。
(強い…。)

 その後水瑠璃が来て最後にザイスィが来た。一瞬水瑠璃は怪訝そうな顔をしてザイスィ
が入ってきたのを見、ザイスィも水瑠璃をちらりとだけ見た。が、お互い特にそれ以上ど
うということは無い。間もなくして、中央のデスクからグラフィックが浮かび上がった。
黒いフードを被った、一見、モルゲニウムを思わせるグラフィックだった。4人は立ち上
がり礼をした。
<全員、揃っておるな…。>
「はいな。東、正宗。」
「西、サファエル。」
「南、ザイスィ。」
「そして北、水瑠璃にございます。」
<今日集まってもらったのは…他でもない、私はまだ完全体ではない…。>
「と、言いますと?」
正宗がおもしろそうに尋く。
<まだ力が足りぬ…それに関連してだが、つい最近反魔王派の奴らが目立っての…。>
「じゃ、片付ければいいだけじゃないですか。」
<うむ、南の言う通り。1月交代で監視をしてもらう。まずは東、次に西、南、北の順で
頼んだぞ。>
「心得ました。」
水瑠璃が丁重に返す。一番物腰が柔らかい。
<そろそろ眠りにつかねばならん…最後に1つ、宝珠の集まりが遅いではないか、お前達
程の者が。あまり遊ぶでない、早く集めるのだ…。>
「御意…。」
サファエルが返事し終わると、魔王は消えた。

                                     *

「綾。」
常康が窓から外を見ている綾に声をかけた。
「どうした? 何か見えるのか?」
綾は少し笑って振り向いた。
「…あの日のことを…思い出していました。」
「…私とお前が出会った日…か?」
にっこり笑って綾は床に座った。
「ここのところずっと騒がしかったから、こう静かだと何だか感傷に浸ってしまって…」
「そうだな、こうして2人で話をするのも久しいものだ。」
広い城の中には常康と綾、そしてあの親子と少数の部下達、ただあの2人がいないだけで
こうも静かに時は流れるのかと、全員が思っていた。
「常康様、綾は感謝しております。こうして私に命を下さり、そばにおいて下さった事」
「私の方こそ、綾にはいつも助けられている。あの時だって、綾がいなければ…
突然言葉が切れる。そこまで言って、記憶が鮮明になった。…どうして今までその事を…
そんなに大事な事を忘れてしまっていたのか。常康は慌てて立ち上がり、綾を抱いて城の
地下牢へ走った。

                                     *

 とりあえずサファエルは…絶句していた。
「やーもー、ありがとうな水瑠璃v  こーゆーのほしかってんv」
「…じゃ、俺は帰らせてもらう。」
正宗の喜びようが相当理解に苦しむらしいザイスィが、席をたった時。
「あ、待って、ザイスィ」
呼び止めた水瑠璃と呼び止められたザイスィが、ふっと目を合わす。水瑠璃は何処か嘲笑
うような、挑戦的な目つきで微笑み、ザイスィは無表情のままその視線を受けて返す。2
人の間に何処か…一瞬の緊迫と、一片の何かを感じさせる空気が流れた。

 しかしその半瞬後。
「四天王の公式就任前祝いよv」
一転して愛想良く笑うようになった水瑠璃がザイスィに何かを手渡し、ザイスィは手渡さ
れた物をじっと見た。それは、吾作模様の刺繍が丁寧に施されている、ハンカチだった。
「…」
怒りを感じたのか複雑なのか何なのか。微妙な顔つきでしばらく無言だったザイスィは、
結局無言まま四天王の間を出ていった。

「あーあ、行ってもーた。ほんと、愛想ないなー。」
水瑠璃から吾作鍋と吾作スポンジと吾作首輪を貰っていた正宗は、連れてきていた葵の首
輪を楽しげに取り替えていた。
「ニャー。(あの子可哀そう。ねーサファエル、四天王ってサファエルみたいにきれいな
人ばっかだけどさ、普通なのってサファエルだけなんだね。)」
「…水瑠璃はまだ普通だと思ってたが…ちょっと怪しくなってきたナ…。」
サファエルの目の前で、葵は暴れ正宗は笑い、水瑠璃はそれらを見て楽しそうにしていた。
サファエルがさて帰ろうかと腰を上げると、不意に水瑠璃が声を上げた。
「出てきなさいよ、シーファー。サファエル様、帰ってしまわれるわよ。」
サファエルが驚くと、本当にシーファーがひょっこり出てきた。水瑠璃以外は気づいてい
なかった様だ。リーウェルは猫の姿のまま警戒体勢に入る。
「やー、ばれてましたかー。さすが水瑠璃、気配とかに敏感ですね〜。」
「何しに来たんだ!」
「やだなー、サファエル様を追っかけてきたに決まってるじゃないですか〜v」
「…一度死ぬか?」

 シーファーとサファエルが仲良く(?)話している間、水瑠璃はもう一度正宗の方に行
き、暴れ疲れて正宗の膝の上でスネている葵を撫でていた。
「吾作シャーベットというのもあったのよね。随分長い間迷ったわ。」
「吾作はんておもろい人やなー。オレんとこの召し使いにでもしよかな−。」
「ニャー!!(やめなさいったらやめなさい!!)」
「葵ちゃんたら、嬉しいの?」
「…!!」
コイツのせいでこの私がこんな首輪を…と、葵が怒りに震えているのは明らかだった。
「水瑠璃てホンマ、同性イジメ好きやな〜。」
「あら、可愛くて仕方がないだけよ。綾も葵も。」
「それにしてもザイ、はよ帰ってしもたな。もー少し話してみたかったんやけどな。」
「…正直な人、だもの…。」
「? 何かゆ−たか?」
「別に。」
四天王達は互いに、深く関わろうとはしない。だからこういう時は、雑談に花が咲く。

                                     *

  四天王の間を出ると彼は、不思議な少女と出会った。足を止めると少女も足を止めた。
「何か用? 迷子なら他をあたってくれ、俺もここはよく知らないんだ。」
少女は、彼の後をまた歩き出した。彼が振り返るとクスクスと笑って見せた。
「外に出たいの? 違う所に行っても知らないゾ。」
《お兄ちゃんの後を歩きたいの。気にしないで。》
白い帽子に白いワンピース、靴、全身真っ白で光っている様だ。
「1人なの? 俺についてきてもいい事ないゾ。」
《1人よ。お兄ちゃんが1人だから。》
「俺が?」
《お兄ちゃん可哀そうね。ずっと1人で。》
黒いフワっとした髪。瞳は帽子でよく見えない。
《でも、それだから私も1人よ。お兄ちゃんと同じでいつも1人で泣いているのよ。》
「泣いてるの? 君が?」
《貴方が。私とお兄ちゃんは‘同じ’よ。だから泣いてるの。》
「…誰?」
《‘お兄ちゃん’。》
少女は暗がりの中を消えてしまった。

−《お兄ちゃん可哀そうね。ずっと1人で、泣いてて。でもお兄ちゃんが1人だから私も
1人なの。だって、お兄ちゃんと私は同じだもの。私はお兄ちゃんだから。》−
残るは、光の無い闇ばかり。

                                     *

「お帰りなサァいv  ザイ様v」
南では、早々と帰ってきたザイスィをケレナ、ベストの人なつっこい顔が出迎えていた
「ザイスィ様、お早かったのですね。」
「ああ、長居をして馴れ合いたくはないからな。元々そんな気ないし。はいこれ。」
ザイスィは先程水瑠璃から貰った吾作のハンカチをベストに、横を通る時についでの様に
渡した。ベストは目が点になってしばらく動かなかった。
「ザイスィ様…あれは? (ベスト、固まっていましたよ…?)」
「いい物。」
「ハァ…。」
「それよりライエルは? 相変わらずなのか?」
「はい、お部屋に。」
ザイスィはそうか、と言うとケレナに下がらせてライエルの部屋へ行ってしまった。

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