「失礼します。」
常康の代わりに正宗への食事を運んできた綾は、足音も立てず正宗の部屋に入る。
 正宗は窓際の椅子に座って遠くを眺めていた。
「正宗様、お食事です。ここに置いて…−  」
部屋に並べられている吾作グッズに気づいたのだ。
「正宗様…これは一体……」
「ん…ああ、何や、綾か。それなァ、水瑠璃に貰ったんや。欲しかったらやるで?」
「遠慮しておきます…;」
「そォか。悪いけどそれ、こっち持ってきて。」
「こっ、これですか?」
吾作鍋を指差した。
「ちゃうちゃう。メシ。」
正宗の笑顔が何だか曇っている様に見えた。綾は食事を近くまで持っていき、ふと正宗の
顔を見て驚いた。
「正宗様? どうか…しました? 何だか…とても…辛そう…。」
今にも泣き出しそうな、こんな弱気な正宗を初めて見た。正宗は少し笑って綾を抱き上げ
た。
「なっ、何するんですかっ!」
「すまんなァ…ちょっとの間こうさしてくれへんか?」
「…。」
いつもならひっぱたいてでも払い除けるのだが、正宗の本当に辛そうな声を聞くと、さす
がの綾もそんな気にはならなかった。
「ははっ、情けないなァ、四天王のくせに…。」
「常康様と…何をお話しになったんです? 常康様も…何だか様子が変なんです。」
「…オレが悪いんや。スマン…。オレが…。」

  数分後、正宗は少しすっきりした様な顔で笑った。
「すまんかったな、綾。ちょっと気ィ楽になった。」
「…あなたが元気じゃないと、常康様も元気無くなっちゃいますから。」
綾はつんと横を向いた。
「それでも助かったわ。ありがと−な。」
「失礼します。」
綾が顔を赤らめながら部屋を出ていった。正宗は部屋の大きな肖像画を見ている。
「母ちゃん…。」


  時間が少し前後するが、正宗と常康の会話の内容をここで書いておこう。
「常康、お前…何か思てる事あるんちゃうか?」
「…。」
「遠慮すんな。この際何言うても気にせん。」
「…風坐殿をあの牢に入れ、我々の記憶を操作したのは…あなたではないのか…。」
「…もし、せやったら…どないする?」
常康は沈黙をもって答えた。
「ふっ…答えへんよな。お前は。」
正宗は窓際の椅子に座り、外を見ながら呟いた。
「…オレや。」
常康の顔が驚きと悲しみに染まった。
「そんな顔すんなや。」
「…何か事情がおありなんでしょう?」
正宗が悲しそうに笑った。
「あったとしてもオレがお前の義父ちゃんあんなにしたっちゅ−事は変われへんやろ?」
正宗が言い訳を極端に嫌っているのは常康もよく知ってしるのだが、こんな時までそんな
事にこだわるのは未だ自分を信用していないことを証明された様で、悲しかった。

  長い沈黙が続き、それを破ったのは正宗だった。
「オレのこと、キライになったんやったら、綾連れて出ていけばええ。生活はオレが保証
したるわ。…話はそれだけや。風坐さんの所に行ったり。」
正宗には常康に話すべき風坐の事に関する理由があったのだが、やはり言い訳はしたくな
いので黙っておいた。しかし、今更になって少し後悔していた。常康と綾を失う事を思う
と、人や物に執着しない正宗でもやはり辛かったのだ。


「うーん、美形のお約束♪  どんな表情でも麗しいね〜」
時間は戻り、突然東の城に場違いな明るい声が響いた。正宗の部屋を出てからしばらく茫
然としていた綾は、その声の主を見て驚いた。
「あ、あなたこの間の!」
「綾ちゃんだよね♪ ねェ、ここの四天王に何があったの?」
綾は、目の前にいる光の珠を連れた少女を追い払おうかと思ったが、敵意や殺意は感じな
いので無視して歩き出した。
「よくわかんないけど人の心に近いものを持った魔族…そんな人に仕えてたら、自然と情
がうつっちゃうよね。」
「何言ってるかさっぱりわからないわよ!」
「綾ちゃんは孤独を知ってるでしょ? それに…本当は魔族じゃないし。」
え、と驚く綾に、少女は不思議な表情を向ける。

「四天王みーんな麗しー奴ばかりで、力も全部の前四天王より凄いけど。それは全員が人
の心に近いもの―…そうだね、魔族の持つ理性とは違う、情の入った理性を持つからなん
だね。魔王がどーやって白レベル4人以上も集めたんだろうって思ったけど、そーいう奴
ばかりが四天王の家系に生まれたのなら。苦労は少なくていーよね。」
少女が一方的に喋り続けるので、綾はだんだんどうしようかと思ってきている。
「まァ北の人捜すのは多少苦労したみたいだし、人間的情持ってる人は強い分裏切る可能
性もあるから、それはそれで苦労してるみたいね。」
「さっきからペラペラと…一体何がい−たいの  」
「…綾ちゃんが正宗君のコト心配してるから、適当に喋ったの♪ 本トは四天王の様子見
に来ただけだったんだけど。じゃ  」
少女は一方的である。それはもう周知の事実だ。綾はもう怒る気も無いらしく、その場を
後にした。多少、その可愛らしい顔に困惑というものが浮き出ていたが。


「らしくないわね正宗。」
「水瑠璃か…。まァこの城の結界気づかれずに抜けるんはそうおらんしな。で、何や?」
水瑠璃によれば大いなる力の持ち主の力は、精神状態によって多少変わるものなのだ。そ
れは天界人でも人間でも魔族でも同じ、がそれぞれの種族によって差はあるらしいが。
「随分失調しているから、足ひっぱりに来たのよ♪」
「あのな…(苦笑) 何にせよ、別に心配して来たわけやないやろ。ヒマやな。」
「あらあら、元気じゃないの。そうね、ヒマだわ。だから気になったのよ。」
「何にせよ、情けないけどな…。」
水瑠璃は、何でもとにかく‘気配’に敏感だった。場の雰囲気や気の動きなど、例を挙げ
れば沢山あるが。同じ四天王として最低限の知識は正宗も持っていた。水瑠璃も、正宗に
ついて最低限の知識は教えられているはずだ。いくら四天王があまり馴れ合わないとはい
え、単独行動を取るばかりではいけない事態もあるのだ。
  水瑠璃はそのまま消えた。東の城のちょっとした異変に気づいて、おそらく様子を見に
来たのだろうと推測した。おそらく本気で心配する様な性格ではないと思う。
  正宗の周りでは吾作グッズが、妙に明るい笑顔で並んでいた…。

                                     *

 ディスラは、今南にはいなかった。せっかく帰ってきたのだし、少し落ち着こうと本人
も思っていたが、東の雲行きがおかしいのでもう一度東へ向かったのだ。

「お久しぶりですねェ。正宗さん。」
「ああ、君か。いらっしゃい。」
力無く答えた王に対し、ディスラは優しく微笑んだ。窓からのぞかせるその顔に、正宗は
泣きそうになった。
「どないしたんです? あなたらしくない、そんな顔して…。」
正宗は泣き出しそうになっていたが、無理に笑顔を作って言った。
「ははっ。なんやみんなそう言うなァ。オレらしいって…どんなんやねん。」
「…あなたはそうやってすぐ1人で抱え込む。いけないクセですわ。」
ディスラの手が正宗の顔に触れた。
「〜っ…。」
正宗がポロポロと涙を零した。
「オレ…いつの間にあいつらのこと…こんなに必要とする様になったのやろ−…。」
「常康と…綾?」
「オレ…あいつらのこと…失くしたく…ないんやなァ。」
「失くしたくなければつなぎ止めればいいんです。あなた、また大事なこと言ってないん
やないですか?」
ディスラの質問に、正宗は笑顔で答えた。その淋しそうな笑顔を見て、ディスラは肩をす
くめる。
「本当に彼らを失くしたないんなら、そんな下らんポリシー、捨ててしまうことですわ。
俺に言えるのはそれだけです。ま−、元気出して下さい。いつもの正宗さんが1番ですよ
…じゃあ、また南に戻らなあかんので。」
「…悪かったな、ディスラ! せっかく来てくれたのに…。でも、…ありがとう。」
ディスラは笑顔を彼に向け、南に戻った。
                                     *

 東の城から戻ってきてから水瑠璃は、いつにも増して無表情だった。ネアンのいる水鏡
の方まで行く。
 水瑠璃の気配探知能力を最も効率良く高めるのが、この水鏡だった。元々ここに映るの
は、彼女がその力によって感じ取ったものを、明確な情報化したものに他ならない。

 今回の水鏡はアラスのいる場所を捜し、映した。水鏡には、アラス、リーウェル、そし
てエンジュラが映っている。
「…。」
結局クラル、ルーファウス、頼也、幻次といった宝珠に関わると思われる者達は、ジパン
グでの邂逅後に行動を共にするようになったようだ。サファエルやリーウェル、アラスや
エンジュラはそれぞれのオマケという感じではあるが、お互いで結局打ち解け合っている
からこれからも一緒に行く……というのが、様々な意味で表面的な理由だった。

 3人は何やら楽し気に話している。リーウェルはすぐにサファエルの方へ行ったが、そ
の後もアラスとエンジュラは話し続けていた。水瑠璃の表情は全くといっていい程変わら
ないが、黙りこくっている。ネアンはそっと考えた。
(本当に、クラウスとテイシーの言う通り。よくわからないわ。)
一体今、水瑠璃は何を考えてアラス達を見ているのか。その表情から推し測ることは全く
不可能だった。

 それでも彼女が口に出す事自体は、そう不可解ではなく、わりとわかりやすい。
「のんきなことね、宝珠を持つ者達も、アラスも。」
気になるのは…その言葉の下、彼女は何を意味したかったのか。それがいつも必ず、必ず
しも言葉通りではないような気がするので、ネアンは割り切れない事が多かったのだ。
「今度は、何が起こるんですの?」
ネアンはその、輪郭のはっきりしない顔を不思議そうな雰囲気で包んで尋いた。
「まだ、お遊びよ。向こうもそうでしょう。ただのお遊び…。」
それだけ言うと水瑠璃はその場を離れた。水鏡に映った光景は、古いテレビが壊れた時の
様に、消えた。

                                     *

  その頃東の城では、常康と正宗の間に動きがあった。
「「失礼します。」」
「おぉ、常康と綾か。ちょうど良かった。話があるんや。」
「正宗様。」
「ん?」
「私は、たとえ貴方が風坐殿を牢に入れ、私達の記憶を操った張本人だとしても…それに
は何か理由があったと…信じています。そして、それを話せる様な、信用出来る部下でな
い事を、お詫びします。」
「常康…。」
「私は貴方についていきます。どんなことがあっても、あなたを信じていますから…。」
正宗はそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。オレ、お前らのこと、ずっと離さへん。でな、言い訳はキラいやけど、話
さなアカンことがあるんや。…風坐さんのこと…牢に閉じ込めたんは、多分オレやと思う
…。でも、それはオレやないんや。…今まで黙っとったけど…オレは…多重人格なんや。
人格は…ようわからんけど、今わかってるだけで4人はおる。」
常康と綾は驚いた顔で正宗の話を聞いている。
「…ひくなや? 絶対。」
2人はうなずいた。

「…まずはオレ。今のオレ、『正宗』や。それから、冷酷で頭のキレる『玲』。多分こい
つが風坐さんの件に関わったんやと思う。…次に、熱血男の『正男』。害はないけど…。
夕日に向かって走り出したらこいつや思てくれ。最後は…オカマの『あけみ』。本名は茶
太郎らしい。」
「きも……」
綾がつい呟いた。
「…ひくなって。そんな人格持っとるオレの身にもなってくれや;  昔なんかなんや気ぃ
ついたら女装しとるし、男に声かけまくってるし…オレ、そんなシュミあるみたいやない
か(泣)」
「お察ししますわ…」
さすがの綾も同情した。
「今はな、他の奴らのこと結構制御出来るんやけど、お前らに会った頃位までは出たい放
題、出血大サービスってカンジやったからな。しかもその時の記憶あれへんし。…すまん
かったな。風坐さんのこと。」
「…いえ。正宗様は悪くありません。」
「でも見てみたい気もしますわね。他の人格。」
「う−ん…見せれんこともないけど…。また今度な。きもいし;  うちの母ちゃんも苦労
しとったみたいやで。あの人も多重人格でなー…。中々怖いもんあったで。普段キレーで
大人しーのに、急に筋肉オヤジの人格とか出てきて、5歳のオレに、一緒にポージングさ
せんねんもん;」
2人は正宗の母の肖像画を見た。優しく微笑んでいる美しい肖像画からは想像出来ない。
「キレーな人…ですのにねェ…。」
綾があきれている。
「葵様は違いますの?」
「あー、葵は母ちゃんが違うしなー。オレアイツの母ちゃんよう知らんし。」
「…でも、話してくれて…うれしいです。」
「おう。」
話のテンポがズレているが、これぞ常康である。正宗も元気を取り戻し、いつもの笑顔を
見せた。

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