「―!!?」
突然にその場は、今までいた洋館の広いダイニングからは、全く考えもつかないものへと
変化していった。それは本当に短い間の事で…まるで、太陽が雲に隠れた時のように。
「やばい、結界だ…!! ライムさんー!!」
武丸が佐助の手をひきつつ、ライムに近寄ってくる。
「何これー? 何で急に、屋敷の中から墓場になるわけ?」
「あの女の創り出した空間に引き込まれたのよ。どうやら相当の力の使い手ね、あの女は」
淡々と言うリンティに、物珍しそうな顔で辺りを見回すライム。

「で、これはどうやったら出れるものなの? こんなのに付き合ってやる程、私は暇じゃ
ないんだから」
「いつも通りでいいんじゃない? 行く手を阻むものがあれば、その剣でなぎ倒す…後、
先手必勝。それがライムでしょ?」
確かにそれはその通り、ライムの性質そのものなのだが…。
「ってか…結界って、剣で切れるものなの?」
「それはライムの実力次第。でもま…結界より先に、片付けなきゃいけないものがあるみ
たいだけど」
リンティのその言葉と同時に、先程から震えていた墓石が弾け飛んだ。驚く武丸達の周囲
あちこちで、墓石を弾き飛ばした手が地面から突き出ている。
「死体使いか…!! これってわりと高位の術なんだって婆様が言ってたぜ!?」
そして土の中から大量の腐乱死体が這い出てきた。死体達はその目に凄まじい憎しみをぎ
らつかせ、ライム達4人を包囲する陣形を作る。ライムは顔をしかめ、リンティは冷静そ
のものな様子、武丸と佐助は互いに背を合わせ、うげ…という顔をしながらも、死体達を
直視する。

 剣を構えるライムと小刀を構える武丸と佐助。そして何処から取り出したのやら、魔法
杖のようなものをリンティがまず一振りする。

「灼き尽くす光にてその哀れな姿を映し出さん=@…死体は大人しく、灰に還りなさい」

 その言葉を言い終わると同時に、4人の周囲から無数の白い炎が巻き起こるあがる。そ
れはリンティが光炎と呼んでいる、光の精霊が起こす灼熱の力だと、付き合いの長いライ
ムは検討をつけた。

「ヴアァア゙ヤァァアアア゙アアア!!!!!!!」

白い炎は大量の死体を包んでいる。包まれた死体達は世にも苦しそうな声をあげてもがき、
どんどんと灰になっていく。
 ―これならライムや自分達の手が煩わされる事はないと、武丸と佐助が思った時だった。

 その滅茶苦茶ぶりを一体。誰が予想出来ただろうか。

「―――あッ…!!?」
突然ライムが剣を鞘に戻して振り上げると、目にもとまらぬ早さでリンティに向かって上
段から切り落としをかけた。
 ガキンっっ。咄嗟に持っていた杖でライムの攻撃を受け止めたリンティは、きつい目を
して自分を見ているライムを、同じようなきつい目で見返した。
「何考えてるの!? 今のライムの敵はあっちでしょ!?」
ライムに応戦した事で集中力が途切れたため、白い炎が消滅していく。
「何考えてるのかって、それはこっちの台詞よ!! あんた、わかっててやってるわね!?」
「ちょ、ちょっと…ライムさ…」
炎が弱まったため、死体達に必死で応戦する武丸が横目でみたライムは…本気で怒ってい
た。何があったかはわからないが、とりなしに入ろうにも応戦が精一杯だ。

「さっさと炎をひっこめなさい!! あいつら、人間だった時の心と感覚が残ってる事くら
い、あんたにはわかってるでしょーが!?」

 そのライムの言葉に。武丸と佐助も一瞬、攻撃の手を止めてしまった。

 死体達は激しい憎しみを目にライム達を見ている。そして………絶える事の無い涙を流
しながら、襲いかかってきている。

「こいつら……生きてんのかよ…!!」
言いながら自分で、そんな事はないとわかっている。この死体達は確かに腐っているし、
手や足など体の一部が無かったり、時には心臓のある場所に穴が開いている死体もいる。
しかしこれだけ大量の死体だ。全部を自ら操るよりも、死体達に各々の意思と、自分で体
を動かせる力を与える事で、個々の死体の判断で戦わせる……その方が効率的である事ぐ
らい、少し卓越した死体使いなら誰でもわかる。
 体を動かす力というのは、相当高位で複雑なものだ。それを与えられたために死体は、
不完全な死んだ体であっても…痛覚や聴覚などの感覚を、取り戻してしまったのだろう。

「生きながら焼かれる気持ち、アンタもいつか味わってみる!? リンティ!!」
死体達は全く武丸達に任せきりで、本気の怒りの形相で自分をみるライムに…リンティは
目を細めて顔をしかめたままだ。
「…あいつらはもう死んでる。けれど生きてるから、死を失くしたあいつらは、何度だろ
うと起き上がる」
リンティの言う通り、武丸や佐助があまり苦痛を与えないように絶命させようとしても、
何度でも死体は起き上がった。手や足がなくても関係ない。原型がなくなるまで解体した
としても、個々のパーツが襲ってきそうな勢いだった。
「あたし達への攻撃の手を止めるには、あいつらの体を消滅させなくちゃいけない。それ
には灰に還すしかないでしょ?」
ぎりぎりと、剣と杖との鍔迫り合い。
「先に本体を叩けばいいだけの話でしょーが!! あのバカ女をさっさとぶっ倒せばいい、
それだけじゃない!!」
「出来るならやってるわよ! でもこの結界は、今のあたしじゃ壊せないくらい強い…何
処かのバカのせいでね! 結界を壊さないとあの女は倒せない事くらいわかるでしょ!?」
「死体達ぐらい何なのよ!! そんなのがいよーがどーしよーが、じゃあ私が壊してやるわ
よ、これぐらい!!」
ようやく剣を払うと、ライムはリンティをまっすぐな目で見た。
「さっさと壊し方を教えなさい!! 最初からそうしてればいいのに、ったく!!」

 リンティはライムの視線に対し、一瞬だけ顔を伏せた。

「…ライムがそう言うなら…絶対、出来るね。」
何故か苦笑したような声で呟く。そして顔を上げた時には…もう、笑っていた。

「ライムにこの結界の結び目を探せとか言っても無理なのはわかってるから、もう力任せ
でいいよ。―――――――――ありったけの力をこめて、この場所の大地を斬っちゃって」
…え。
 ……つまり…地面? という感じで、ライムは自分の足元をまじまじと見た。
「剣が大地を越えて外まで届けば、結界は壊れる。うーん……何百メートルあるのか想像
もつかないけど……ライムなら出来るよv」

 …流石のライムも、これにはまいった。
「アホかーーーーーー!!!! 本物の地面だって核まで割れるくらいなら、この世界は私の
手一つで大崩壊出来るっつーのーーーーーー!!!」
でも本物じゃないんだからやってやるわよ!! とかなんとか、かなりヤケクソになりなが
ら剣を構えるライムだった。

「うっえー…ライムさん、本気かよ…!?」
オレ、も、限界近いんスけど…。いい加減疲労がたまってきた武丸は、死体達の攻撃を防
ぐので精一杯になっていた。
「兄ちゃん、これってやばいよォー」
佐助は武丸より先にへばってしまい、地面に座り込んでいる。それを守りながらの応戦な
ので、余計に武丸は疲労の限界なのだった。それを見てリンティが溜め息をつく。

「白の世界は全ての存在を永久に許さず=@……フウ。これやると、あたしもダウン風
味確実なんだけどさ……」

 背後で詠唱の声が響く。その直後、4人が立っている以外の場所が真っ白となり………
その白の上に立ってた全ての死体達は、氷に包まれて身動きがとれなくなっていた。
「―!! あのなー…! こんなの出来るんなら、最初からこれをやれば…!!」
生きたまま死体達を焼く事もなかったし、ここまで戦う事もなかった。相当のむかっ腹で
リンティの方に振り返った武丸は…その様子を見て、声を止めた。
「…っ…これだけの数で、しかも中から抵抗する奴ら………最っっっ、悪………」
妖精にとって力の象徴である羽に、ところどころ穴があく。力の激しい消費を物語ってい
るのだ。立っているのも相当辛いようで、リンティは杖にすがって膝をついていた。


「―――――上等!!」

 ライムは気合いを入れ直した。元から失敗する気はさらさらない。
 どれだけ考えても、普通ならばまず考え付くことすら有り得ない方法だろうと。

 ―自分は、普通ではないのだから。

 あの死体使いと隣の妖精の言葉が本当ならば…自分は、竜なのだから。



 ライムは持っていた剣を己の立つ大地に、力の限り、振り下ろした。



 大地が裂ける。剣に込められた力は余すことなく全てが地の下に伝わり、凄まじい速度
で広がる闇の亀裂………地の底から何か巨大なものが這い上がってくるのかと思う程、激
しく揺れ動いて崩壊していく地面。


「さっすがぁ…!! これなら…!!」
この状況で死体達の動きを止めておいても意味がないので、氷を消して少し楽になったら
しいリンティがガッツポーズをとる。原型をとどめなくなった地面でそんな余裕を持てる
のは、その翼で飛んでいられる彼女くらいだろう。
 ライムは未だ、大地を斬り続けている。外の世界に辿り着くまで止める事は出来ない…
止めたらその時点で、失敗という事だ。
 掘り進んでいくのでもなく、ただ凄まじい衝撃波を放ちながらどんどんと、大地を割り
続けていく。
「ライムさんて…ほんとにバケモンだ………」
崩れゆく地面をどんどん飛び移ってなんとかしのぎながら、呆れ声で武丸が呟いた。


 そして暗い地の底の先に…ほんの少しの光が見えた。


「…着いた…!!!?」
まだ少しは余力があるという真性の怪物状態で、ライムは剣の先が外の世界を掘り当てた
手応えを、確かに感じ取った。あの洋館の光景がうっすらと見えてくる。
 これなら残った力で十分、ガレッタとも戦える……………

 ―そう思って、力を緩めた矢先。
「――――!!!!」
しまったっ…!!!! それをライムとリンティは同時に感じていた。
「ライム、退いて…!!!!」
リンティが心底焦りを感じたような声で警鐘を発する暇もなく。

 第二の結界が、発動していた。

「………!!??」
墓場の景色が崩れていくと同時に、構築されていく風景。
 それは蒼くて暗い空の下に所在げなくそびえたつ、灰色の城……………誰も知るはずの
ない、眠りに支配された氷の世界。
「あ……」
「ライム!!!!」
まだ辛うじて消えずに残っている大地の裂け目の暗闇に、ライムの元へとリンティが急ぐ
……が。

「ここ、は……」
―知っている。私は確かに、この場所を知っている……。

 第一の結界が消えたと同時に発動された第二の結界は、ちょうど境界にいたライムを巻
き込んで、編み上げられていく。リンティの誤算としては、これだけ強い結界なのだから、
第二の結界が用意されているとは思わなかったのだ。

―…あんな女に協力する者が、まさか……2人もいるなんて。

 本当に強い力で編まれた、第一の結界。あれはガレッタ自身の力ではなく、彼女の空間
をある強力な助力者が結界で補強したものだとは、容易に察しがついていた。あれだけ強
い力を持つ助力者がついているなら、その他に仲間を求める必要などない。それ程強い力。
まだまるで目覚めていないライム相手に、第二の結界まで用意する必要など、本来は無い。

 ………それなのに、もう1人の助力者を必要とした理由。
 寧ろガレッタすら利用されているのだと、すぐにわかる。
「間に合わないっ……ライム……!!」

 そうして完全に、結界にライムが取り込まれてから。第二の結界によって創られた大地
に、あれだけ離れていたはずのリンティと武丸と佐助は……同じ場所に、立っていた。


「って……これって、やばくねぇ…!?」
そうなる事はわかっていた。敵方だって多分、わかっていてやった事だろう。
 ライムを取り込んだ事で、その結界内は。
「わーーー!!!! 親父改め洪水加えた4大災害が一気にやってくるーーー!!!!」
地震・雷・火事・洪水。灰色の城を中心に、何処から現れたのか……様々な力が荒れ狂う。
「だけじゃないよー!! アレ、アレーー!!!!」
オマケに所々で竜巻が起こったり、それでなくとも暴風が当たり前の状況。リンティがす
ぐに結界を張って、自分と武丸と佐助を荒れ狂う力から一時的に隔離した。

「リンティさん!! これって…!!!!」
焦る武丸と佐助に、リンティは苦虫を噛み潰したような顔を見せている。
「…―やってくれるわ。ライムを取り込んだって結界って事は、ここはライムの世界……
ライムには何の意志も自覚もなくて、ただその力だけが暴走させられてる」
「ライムさんはどうなったんだ!? 大丈夫なのかよ!?」
……。心底心配しているような武丸の顔に、リンティの表情は呆れ気味でも少しだけほぐ
れた。
「ライム自身に危害を加えるものじゃないわ。暴走してるとはいえ、それはライムの力を
解放してるだけだし。この結界が解かれれば、ライムは助かる」
力を使い尽くす前に解かなきゃだけどね、と付け加える。

「問題はね。ライムを取り込んだ時点で、これはライムの結界になってしまったという事。
つまり……ライムが止まるか、無理に止めるかしないと、絶対に。出られる事はない」
 ……。サー……。武丸が青ざめ、佐助がキョトンとする。
「つまりさ…さっきの結界だってバカ強かったのに、それを破れるライムさんの結界だか
ら…今の方が、もっと、強い結界だって?」
「そ。あたし達の中にどころか、この世界の何処にも…これを破れる奴は、多分存在しな
い。ライムは真性の竜の……たった一人の、生き残りだから」
ライムの意識は、結界に取り込まれた時点で強制的に落とされている。そもそもこの場所
の様子からして、ライム自身がイメージしたものではなく……その心の底の記憶を、無理
やり掘り出されたものだ。
「手酷いやり方をしてくれるものね………いくら大義が、あるからって…」
「…。こんな事されて…ライムさんの心は、大丈夫なのか?」
「失った記憶につけ込まれたのは痛い。今のライムの弱点はアレだけだから……無理やり
引き出されて、混乱してる」
「何とかしなきゃ!! 俺達でライムさんを止めないと!!」
「止めないと、ここから出られないのは確かね」
「―そうだけど…出られたとしたってこのまま、ライムさんをほっとけるかよ!!」
―ふーん? とリンティは、目を細めて武丸の方を見る。
「じゃ、助けてくれるよね? 3人でライムを止めて、この結界を安定させる」
へ? 武丸と佐助が目を丸くする。
「あたしとあんた達が協力すれば、ライムに届く。わかるでしょ? 何しろアンタ達は…
竜の血をひく者達が隠れ住む里で生まれた、正統な。現代の竜族なんだから」


 ―武丸の表情が固まる。
 不思議そうな佐助を横目に、今までにない厳しい目でリンティの方を見る。
「あんた………」
「今更隠しても無意味でしょ。この期に及んで、力の出し惜しみは無しよ?」
「………何で、知ってる」
佐助がひたすら首を傾げているのは、佐助は知らず、武丸は知っていたという事だろう。
「あんたの里の竜の話は、結構有名よ? だって忍の里を隠れ里たらしめているのが…そ
もそもは、竜の力なんだから」
その中でも、とリンティは、武丸の方を微妙な目で見据える。

「あんたか佐助君が、おそらくは次代の結界の担い手……最も強く、竜の血をひくもの。
そうでもなければ2人共、それだけの力は持っていないでしょう?」
「………」
否定しないということは―――この場合は、肯定の意味を表すのだろう。
「だから。いかにライムが竜といっても、あたし達3人が揃えば止める事くらいは出来る。
一度止めてあげれば、ライムの事だから、自分の力でこの結界をたたんでくれるわ」
「………。そんなに大きな力を使って…ライムさんが止まらなかった時は?」
結界を壊す事は、元から出来はしない。しかしその内部で暴れ狂う力から身を守る術が、
全くなくなってしまうのもどうかと思うのは、当然の事だろう。
「そうね。その時はまさに、最悪の事態を見ることになる」
ただし……と、リンティは付け加える。
「多分それは、あたしとライムに限っての話だけど。その場合、あんた達は多分助かるん
じゃないかな?」
「…?」
その口調には、嘘はなかった。
「―まぁ、それでも。ライムを助けたければ、失敗は許されない」
「………」

 武丸と佐助が顔を「。。。」と見合わせた。
「……俺達、正直、あんまり大きい力…使った事ないんだよな」
「僕も知らないよ、そんなの。どうやって使うの?」
………。リンティの時間が一瞬止まる。
「俺達に力があるっていうのは、婆様から俺だけ聞いてたんだ。でもその婆様も、その使
い方までは教えてくれなかったし…」
「術で使うのなんて、ほんのちょっとだよー。それ以上の事はやったことないよ」
「……そ。とても有意義な実情、教えてくれてホントにありがと」
ふーーーー………。殊更に大きな溜め息をつくリンティ。

「じゃ…死ぬ気で根性見せてね。アンタ達の力も、ついでに暴走してもらうから」
「―は?」
「―え?」

 そしてリンティは、有無を言わさず。武丸と佐助の首を前方から両手で掴み、体ごと地
面に叩きつけた。
「なーー!!!???」
「わぁーー!!??」
沈む…というより、地面に2人の体が取り込まれていく。
「アンタ達もこの結界に取り込まれてもらう。そこから先は……知〜らないっと」
「「そんなーーー!!??」」
「大丈夫、この結界には既にライムと後2人程、違う奴らが関与してる。元々そういった、
力を持つ者を取り込む結界なんだわ」
こういった知識に抜群に詳しい妖精だから、術者でなくとも干渉出来る。武丸+佐助の力
の解放を逆方向にして、それに自分の力をプラスすれば、ライム+この結界を創った者達
の力に…匹敵する事まではなくても。

「ライムなら絶対。目を覚まして、あんな奴らの呪縛から抜け出してくる」
 完全に武丸と佐助が地面に取り込まれたのを見届けると、リンティもスウ……と、息を
吸う。


 力を解放する。絶対に越えてはいけない一線に、ギリギリの力……もしもそれを、越え
てしまったら?



 所狭しと辺り一帯を循環するように駆け巡り、打消しあっていく力の断末魔…どんどん
と削られていく力。武丸達もわけがわからず力を解放され、死ぬ思いだろう。
 けれど彼らは大丈夫。その身には彼らが考えてる以上に、有り余る力が眠っている。
 大丈夫じゃないのは自分。この身の限界を彼女は嫌という程よく知っている。
 自分の限界が一番、この場の誰よりも早く到達する事…そしてその先に起こる惨事を。


―バーカ…アンタにそこまで、この私が。面倒かけるわけがないでしょーが?―


 放出され続ける力に、ふと、あたたかい何かがストップをかけてきた。
 感じ慣れたライムの気配が、段々とすぐそばに固着していく。安心感が頭をよぎったせ
いか……リンティの意識は、少しだけ遠くなった。

 ふら、と倒れそうになるリンティは、力強い手に受け止められた。
 ライムが立っている。本当に安心してしまうと、どうやら相当無理がきていたようで…
そこでリンティは、意識を落としてしまった。
「ったく。底力なんか全然ない妖精のくせして、私を止めるなんて100年早いっての」
その辺りの木にリンティをもたれさせる。今までいたはずの洋館が何処にも見当たらない
…自分達はほとんど移動していないはずなのに、消えた洋館。そういやリンティが、第2
の結界とか何とか言ってたわね…と、微妙にぼやけた頭のライムは、モヤモヤを追い払う
ように。結界に取り込まれる前の記憶を辿った。
「多分だけど…元々あの洋館からして、あの女が創り出した擬似空間だったって事なのか
な? 今までいた部屋が見えたから、力を止めたのが油断だったみたい」
結界から出れたと思ったのは、間違いだったのだ。元からあの洋館そのものが、第2の結
界であり、ライムが第1の結界を破るまでその実質的な発動を心待ちにしていたのだ。
「というわけだと思うけど、納得した? 武丸、佐助」
いつの間にか背後の地面に転がり、ってー……と頭を抱える2人に、振り返りもせずに言
う。
「あー……出れた、のか…?」
「…きぅー……リンティおねいちゃん、ひどいよー…」
2人はどうやら、現況すらよくわかっていないらしかった。それもそのはず…ライムも、
結界に取り込まれてからの事は、何があったかほとんど思い出せなかった。

 …けれども。

「よくも好き勝手、ヒトの力と感情をかきまわしてくれたわね…………オマケに………」
視界の端に、苦しそうな表情で木にもたれかかっている相棒が見える。ライムの表情が一
層厳しいものとなった。
「さっさと出てきなさいよ! このまま私が黙って帰ると思ったら大間違いだし、どうせ
アンタも黙って帰そうと思っちゃいないでしょうが!? ―ガレッタ!!」
そのライムの声に、呼応するかのように。場に突然霧が立ちこみはじめ、数m先の光景す
ら唐突に見えなくなり…その霧の中から、ガレッタが現れたのだった。

「…あまり、無理をなさいますな…我が王」
静かな声で、ガレッタはまっすぐにライムを見て言う。
「あれだけの力を、何の準備もなしに急に解放させられた後……貴方様の体力も、相当限
界に近付いているはず」
「へぇ…言ってくれるじゃない。そこまで言うなら、アンタ自身で試してみなさいよ。私、
売られたケンカは買わなきゃ気がすまないタチでさ」
キラリと剣を抜く………が。
「―あ」
どうやら最初の結界を破れただけでも、安物の剣には上出来だったようで。剣は抜くと同
時に、ボロボロと崩れ落ちてしまったのだった。
「剣無しか…また、面倒な。―ま、アンタなんか、剣が無くても秒殺してやるけど」
「そうですね…貴方様が真の竜族としてふるうお力なら、十分過ぎる程可能な事でしょう」
…けれど、と、ガレッタは言葉を続けようとする。
「けれど、アンタには助っ人がいるから。今の私じゃ勝てないと、そう言いたいんでしょ。
私は全然、負ける気なんてしないけどさ」
「ええ。その通りです……と、言いたいところですが」
訂正させていただきます、と。ガレッタは初めて、作り笑いではない本物らしい笑顔で、
にこやかに言ってのけたのだった。

「助っ人などという言い方では、あのお方達に失礼にあたります。あのお方達は、貴方様
と同じ世界に住まわれる…私にとって、永遠の主なのですから」
「…同じ…世界?」
ガレッタの周囲から、大量の死者達の手がまた、土を破って現れた。
「私の手が汚れる事で世界が変わるなら、安いものでしょう? 全ては今は遠き、平穏の
日々のため…安らかなる世界の、明日のため。……邪魔者は全て、排除致します」
その声をきいて、ライムがガレッタの方に飛び出す前に。武丸の声が発される方が、タッ
チの差で早かった。

「―ライムさん! 大変だ、リンティさんがいなくなってる!!」
「な…!?」

 先程までリンティがもたれていた木のある方へ、ばっと振り返る。すると武丸の言う通
り…あるはずの姿が忽然と消え、なくなっていた。
 ガレッタがフ…と、余裕ありげな笑みを浮かべた。